第二十一話:自宅
美咲と別れ、志穂の家を後にした三人は、そのまま街の外れにある高級住宅街に、足を踏み入れていた。
向かう先は、美雅の自宅だ、この時間ならば、美雅の両親は職場で仕事をしている、だけど……
家には、安否を確かめたい人間がいる。
そして……
美雅にはもう一つ、確かめるべき事があった。
そうして三人は、美雅の案内で、この高級住宅街に来ていた、篤志も、そして志穂も、もちろんこんなところに来るのは初めての経験だ、ずっと長い間一緒にいた『幼馴染み』という関係だけれど、思えば二人とも、美雅の家には一度も行ったことが無かった。
無論、この高級住宅街も、今では『ゾンビ』達のうろつき廻る危険地帯と化してはいたけれど……それでも……
「……アンタの家って、もの凄い金持ちなの?」
志穂が、少し恐る恐る、という様子で問いかける。明らかに、近くにいるであろう『ゾンビ』達では無いものに恐れを抱いている感じだ。
「……金があるのは親さ、俺は至って普通の、つまらない人間だよ」
美雅は、軽く苦笑いして言う。
そうだ。
自分は……
自分は、つまらない人間だ。
美雅は、そう思っている。
所詮は……
所詮は……
「あ、ほら」
美雅は、胸の中に浮かんだ昏い感情を追い払うように、顔を上げた。
そして……
正面にある、やや大きめの住宅を指差した、この高級住宅街では、比較的に街に近い区画にある家だ、この住宅街の中では、あまり豊かでは無い層が暮らしている地区だ。
それでも……
「ウチより全然大きい……」
志穂が、呟いた。
篤志も、何も言わなかったけれど、確かに……
確かに、自分の家よりも大きい家だ、一体……
「お前の親って、何してるんだ?」
「……」
だけど……
美雅は、その問いには答えず……
そのまま、ゆっくりと……
ゆっくりと、家の門をくぐり抜けた。
門の向こうは、きっと立派な庭だったのだろう、名前はよく解らないけど、色鮮やかな花が咲き乱れ、真ん中には池が見える、もしかして、鯉でも中にいるのかも知れない。
だけど……
今は……
庭に咲いている草花は踏まれて折れ曲がり、池の水は周囲にぶちまけられていた、水から放り出された鯉が、池の周囲でピクピクと藻掻いている。
「……ひどい……」
志穂が呟く。
「……」
篤志も、何も言わない。本来ならば、きちんと手入れされているだろうその庭は、もう見る影も無く……そして……
庭師、というのだろうか? 池の側に、一人の男性が倒れていた。
「……小山さん……」
ぽつりと、美雅が呟いた。
仰向けに倒れているその男性は、ツナギのような服を着て、両手に何かをしっかりと抱えている、それはどうやら、刈り取った草を一カ所に集めるための熊手らしかった。
三人は、ゆっくりと……
ゆっくりと、そちらに近づいて行った。
「……この人……」
志穂が呟く。
熊手の柄の部分が、喉の奥までめり込んでいた。
右肩には、何かに食いちぎられた後……つまりこの男性は……
「離れてろ」
美雅が言う。
その言葉が終わるのと同時に……
その男性の身体が、びくんっ、と震える……
そのまま……
そのまま、ゆっくりと……
その男性が、上半身を起こす。
「ああああ……」
身体を起こした小山という男性の喉の奥から、呻き声が漏れる。
そのまま立ち上がった小山は、まだ口の中に突っ込まれたままだった竹製の熊手の柄を、まるで麩菓子の様にバキバキと噛み砕いた、口に入っていなかった部分が、がらんっ、と地面に落ちる。
「……」
美雅が、銃を構える。
「ああああ……」
呻きながら、その男性が……
ゆっくりと、腕を美雅の方に伸ばして来る。
だけど……
美雅は、躊躇う事は無かった。
両手で構えた銃の引き金を、眉一つ動かさずに引く。
乾いた銃声。
そして、吹き出す血。
どう、と。
その男性の身体が、庭に倒れる。
「……」
美雅は、無言で……
無言で、目を閉じた。
小山という男性の、冥福を祈るみたいに。
「さあ」
美雅が、何事も無かった様に振り返って言う。
「行こう、家の中にも、まだ人がいるかも知れない」
「……お前……」
篤志は、小さい声で呟く。
だけど美雅は、何も言わずに歩き出した。
そのまま三人は、ゆっくりとした足取りで玄関に向かう。
家の様子は、もう見なかった。
あの小山という男性は、完全に……
完全に『ゾンビ』と化していた。熊手で喉を貫いたのも、あんな怪物となって、人を襲う前に、と、自ら命を絶ったのだろう、もっとも、あの『ゾンビ』に噛まれてしまった以上、そんな事をしても意味が無い。
そう。
志穂の家族が、そうであった様に……
そして。
あの男性が『ゾンビ』と化した、という事は……この家の中には、彼を噛んだ奴がいる、という事だ、窓を破って侵入したか、壁を壊して侵入したか、それは知らないけど、奴らにはどんな鍵も、どんな壁も役に立たない事は証明済みだ。
何処が壊れているかなんて、いちいち確かめる必要も無い。
そう思いながら、三人は美雅の案内で、玄関の前に立ち、ポケットから鍵を取り出した。
そして……
鍵穴に差し込んで回す。
がちゃり、と音がして鍵が開いた……そのまま、美雅がそっと扉を開け……
音をたてないように、そっ、と中に入った。
篤志と志穂も、無言のままでその後に続く。
家の中は、本来ならば綺麗なのだろうけれど……今はやはり、庭と同じ様な有様だった。
壁に掛けられた高そうな絵や、あちこちに置かれた台の上に乗っているツボやら彫刻やらが、床に落ちて粉々に砕け散っている……
そして……
玄関の前の廊下……
その向こうには、どうやらダイニングルームがあるらしい、扉が開いていた。
その扉から、ゆっくりと……
ゆっくりと、一人の女性が歩いて来ていた。
「中谷さん……」
美雅が呟く。
「……あの人と、さっきの人は……?」
志穂が問いかける。
「……二人とも、ウチで雇ってる『お手伝いさん』さ、小山さんは庭の手入れ、あっちの中谷さんは、食事だったり掃除だったりをしてくれてた……」
美雅は呟く様に言う。
「仕事で、家にいない事が多いウチの親に変わって、俺の面倒をよく見てくれたのさ」
いつもの通り。
美雅の口調は、淡々としていたけれど……
それでも……
あの小山という男性の顔を見る時にも、そして……
中谷という女性を見る、今の美雅の表情を見ても、解る。
美雅は、あの二人に対して……
単なる『お手伝い』以上の感情を抱いていたのだ、と。
つまりは……
この二人は……
「第二の、『両親』って訳ね」
志穂が言う。
「……」
美雅は、何も言わない。
『両親』は、仕事で不在。
ならば、この家に来る必要は無い。
普段の美雅ならば、きっとそう言うだろう。
だけど……
彼は、この家に戻りたい、と言った。
それは……
それは、つまり……
「……この人達が、無事かどうか確かめたかったって事か?」
篤志が問いかける。
「まあ、正直なところ、無事だとは思って無かったけどな」
美雅は呟く。
そうだ。
無事だとは、思っていなかった
だけど……
「もし、『ゾンビ』になっていたのなら……」
解放、してあげたい。
志穂の、家族と同じ様に。
「……ああああ……」
中谷が、呻きながらこちらに歩み寄って来る。
美雅は、銃を構えた。
「……この人のさ」
美雅が、言う。
「この人の作る味噌汁が、また絶品でよ、いつか……お前らにも食べさせたかったよ」
言いながら、美雅は……
銃の、引き金を引いた。




