第二十話:離別
「さあ」
完全に動かなくなった三人。
否。
三体の『ゾンビ』達には、もう目もくれること無く。
志穂は、ゆっくりと立ち上がり、篤志達の方を振り返った。
そこに浮かぶ表情を、篤志は、はっきりと見た。
しっかりと引き結ばれた唇。
見開かれた目には、もう足下の『ゾンビ』達は映っていない。
そして。
「アタシの家族の問題は、これで解決」
志穂は、さっぱりとした口調で言う。
「次は、アンタの家族の様子を見に行くんでしょう? 美雅」
志穂が、視線を篤志の横に立つ美雅に向ける。
「あ ああ……そうだな」
美雅は、その言葉に頷いた。
「準備したら、早速出発しましょう、アタシはちょっと、食べ物とか、武器になりそうな物を家から取ってくるから、門のとこで待ってて」
そのまま、志穂は篤志達の横を通り抜けて、歩き出す。
もう……
もう、かつて『家族』だった『ゾンビ』達は……
目に、映っていないみたいに。
「あ、美咲ちゃん」
志穂が、思い出した様に美咲の方を見る。
「は はい?」
美咲が、びくっ、と身体を震わせる。
「ちょっと手伝って」
「は はい……」
頷く美咲は……何処か……
何処か、嬉しそうだった。
何かを……
期待しているみたいに……
そのまま、志穂と美咲は、ドアが開け放たれたままの玄関から家の中に入る。
「ちょっと待っててね」
志穂は言いながら、靴も脱がずに家の中に入り、すぐに二階への階段を上り始める。
美咲からは返事は無いけれど、多分彼女の事だから、玄関で待っているだろう。
志穂は、そのまま自室に入る。相も変わらず滅茶苦茶に荒れている自室……志穂は、その自室のクローゼットを開ける。その中にある服は、さすがに無傷の物が多かった。
制服よりも、もっと動きやすい服に着替えるべきだろうか? そんな考えが一瞬頭を過るけれど、あまり時間も無いのだ、今は我慢するしか無い。
志穂は、そう思いながら、クローゼットの中から、自分の持ち物の中で、一番大きいリュックサックを取り出した。
それを手に持ち、ゆっくりとした足取りで階段を下りていく。
美咲は、玄関前に立っていた。
「お待たせ」
美咲ににっこりと笑いかけて、志穂はゆっくりとキッチンに向かう。
キッチンも、もう滅茶苦茶だ。
志穂は、床に散らばっている包丁やナイフを、適当にいくつか手に取り、同じく床に散らばっているナプキンや雑巾などでくるんで、次から次へとリュックにねじ込んでいく。
そして冷蔵庫を開け、ジュースやお菓子類を、やはり同じ様に次々とリュックの中にねじ込んでいく。
「あいつらが、人間の食べ物には関心が無くて良かったわね……」
志穂は、小さく呟く、本当ならば、肉や野菜も持って行きたいし、ちょっとした調理器具も持って行きたい、だけど、このリュックにはそんな物は入らない。
やがて、食べ物と包丁で、リュックが一杯になったのを確認して、志穂は頷いた。
「アタシ、銃とかよりやっぱりこっちの方が良いかも知れないわね……」
一本の包丁を握りしめて、剣みたいに構えながら、志穂は苦笑いと共に言う。
「あの……」
美咲の声。
志穂は、そちらを振り向く。
「……」
美咲が、じっと……
じっと、志穂の顔を見ていた。
「……志穂さん……」
「……」
志穂は、目を閉じる。
「美咲ちゃん」
志穂は、美咲に呼びかけながら、かろうじて残っているダイニングテーブルに座るように、美咲は促した。
美咲は、黙ってその椅子に腰掛ける。
志穂も、向かいに腰掛けた。
そして……
志穂は、美咲に……
ゆっくりと、頭を下げる。
「ごめんなさい」
「……」
美咲から、返事は無い。
志穂は、頭を下げたままで言う。
「アタシは、アンタと一緒には行けない」
「……志穂、さん」
美咲が呻く様に言う。
「アタシは、やっぱり……」
志穂は言う。
「やっぱり、『許せない』の」
そうだ。
『許せない』。
あんな……
あんな、おぞましい『ゾンビ』に、父を……母を、そして……
妹を……変えてしまった『何か』。
それが何なのか、志穂には解らない。
だけど……
このままには、しておけない。
何が原因で、こんな事になったのか。
誰のせいで、こんな事になったのか。
それを……
「それを知らずに、アンタと『安全な場所』で、二人で生きるなんて……」
志穂は、美咲の顔を真っ直ぐに見据えて言う。
「アタシには、出来ないの」
「……」
美咲は、目を閉じる。
「だから、ごめんなさい」
志穂は、もう一度。
美咲に、頭を下げた。
「アンタと一緒には、行けない、あいつら……篤志と、美雅の事も、見捨てられないしね」
そう言って。
志穂は、顔を上げる。
美咲の顔を見る。
「……」
美咲は……
穏やかに……
穏やかに、微笑んでいた。
「……そう、ですか」
残念そうに。
だけど……
何処か、嬉しそうに呟く美咲の顔に。
そして……
その声に……
後悔の色は、無い。
志穂には、少なくともそう見えた。
開きっぱなしになった玄関の扉から、二人の少女が、連れだって出てくる。
「お待たせ」
二人のうちの一人、志穂が言う。その肩には、大きなリュックが背負われていた、あの中に多分、食べ物や、『武器』が入っているのだろう、銃を既に三発も撃ってしまった以上、新しい武器が必要となるのは当然だ。
「じゃあ……」
美雅が、口を開く。
「そろそろ、行こうか?」
篤志は……
その言葉に、頷いた。
「ああ、行こう」
そして。
篤志は、二人の女子の方を見る。
志穂と目が合う。
「ええ、行きましょう」
志穂が、頷く。
「まずは、美雅の家族」
篤志が、美雅の顔を見て言う。
「……ああ」
美雅が、頷く。
「そして……」
篤志はそこで、目を閉じる。
そして。
そう。
そうだ。
ずっと前から、篤志の心に、その感情が生まれていた。
もしかしたら、美雅も同じ事を考えているかも知れない、と篤志は思った、彼は、相変わらず表情には乏しいけど、『そういう』事を許せない人間だ。
「……その後は……」
篤志が、口を開く。
両親の惨たらしい死体。
それを見た時から、ずっと……
ずっと、篤志の心の中にあった『決意』。
それを……
今、初めて。
初めて、口に出す。
「あの連中が、現れた原因を探る」
そうだ。
そして……
そしてもしも、それが……
それが、『誰か』の悪意によるものだったら……
その時は……
そいつを……
「アタシもついていくわ」
志穂が、はっきりと告げる。
「アタシの大切な家族を、あんな姿にしてくれた原因を、きっちりと調べる」
その言葉に、篤志は小さく笑う。やはりこいつも、あの両親の遺体を前にして、そういう決意を固めていたらしい。
「そうか」
篤志は、それだけを呟いた。
「……俺も……」
美雅が、ぽつりと言う。
「両親の事も、気になるし、あの『ゾンビ』達の正体を知りたい、だから……」
美雅も、顔を上げ、篤志の横に並んだ。
「俺も、お前らと一緒に行く」
じっ、と。
篤志と、志穂の顔を見て言う美雅の表情は……
少し、固かったけれど……
強い決意に、満ちていた。
「……皆さん、ご立派ですね」
背後からの声。
美咲だ。
三人は、その声に振り返る。
美咲は、自分の腰の後ろで手を組んで、可愛らしいポーズを取りながらみんなを見ていた。
「美咲ちゃん」
志穂が口を開く。
「アンタは、どうするの?」
「……私は……」
美咲は、軽く息を吐く。
「皆さんとは、一緒に行けません」
「……美咲ちゃん」
志穂が何かを言いかけるけれど、美咲は片手を上げて、その言葉を制した。
「私は、あの『ゾンビ』達が怖いんです、あんな奴らと戦うなんて出来ないし、あいつらが何処から現れたのか、原因を探るなんて言うことも、とても耐えられそうにありません、だから、私は皆さんとは一緒に行けない、それに……」
美咲はそこで、ちらりと志穂を見る。
「フラれちゃいましたしねー」
からかう様に言って、美咲は肩を竦める。
「それで……君はこれからどうするんだ?」
篤志は、問いかけた。
「私、学校に戻ります」
美咲は、はっきりと告げた。
「あそこなら食べ物もありますし、強そうな人達が守ってるみたいですし、武器も沢山ありますから、安全でしょう、そこで、皆さんが無事に……」
美咲はそこで、目を閉じる。
そして。
「皆さんが、『登校』するのを待っています」
「……『登校』」
篤志は、小さい声で言う。
『登校』。
そうだ。
この騒ぎが始まってから、すっかりそんな事は忘れていた。
だけど……確かに、自分達はまだ高校生だ。
ならば……当然学校に『登校』しないといけない、勉強して、部活に励んで、友情、或いは恋愛に生きて、そんな日々を過ごすために。
「そうだな」
篤志は、頷いた。
教室での事を思い出す。
篤志がいて、美雅がいて、志穂がいて、その他にも、何人か、仲の良かったクラスの仲間達がいて……みんなでお喋りしたり、帰りに遊びに行ったり、勉強したり……
「そういえば」
美雅が思い出したように、志穂に向かって言う。
「お前には、まだ補習があったよな?」
「……う」
志穂が、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「補習って、志穂さんって、そんなに成績悪いんですか?」
美咲が呆れた様に問いかける。
「……そ そんな事無いわよー?」
志穂が繕うように言うけれど……
「ああ、こいつ毎回学年最下位だぜ?」
篤志がからかう様に言う。
「よ 余計な事言わなくて良いのよっ!!」
志穂は篤志に向き直って怒鳴るけれど、篤志は知らん顔だ。
それを聞いて、美咲が小さく吹き出した。
「それなら、この騒ぎが終わって、皆さんが学校に『登校』したら、真っ先にやることは……」
「ああ」
篤志は頷いた。
そして。
ぽん、と、志穂の肩を叩く。
「こいつの補習さ」
「それなら、私も手伝いますね、これでも国語と歴史は得意なので」
美咲のその言葉に、美雅が頷く。
「ああ、それは助かる、一人でこいつに全教科教えるのは大変だったんだ」
「あ アンタ達ねえ……」
真っ赤になって俯いて、わなわな震える志穂に、みんなが笑った。
篤志も。
美雅も。
そして、美咲も……
志穂も、俯いて、恥ずかしさを感じながらも、何処か……
何処か、穏やかな気持ちだった。
自分には、もう、両親も、妹もいなくなってしまった。
だけど……
彼らがいれば……
彼らといれば……
その傷も……
そして……
この『ゾンビ』達との戦いも。
乗り越えて、行ける。
そんな気が、していた。
「それじゃあ」
美咲は、さっぱりとした笑顔で告げる。
「ここでお別れですね」
「違うでしょう?」
志穂が言う。
「別なところへ行くだけ、またすぐに会えるわ」
その言葉に、美咲は穏やかに笑う。
「そうですね」
もうそこに、あの……
あの、艶然とした微笑みは無い。
あるのは……ごく普通の。
年齢相応の、少女の笑顔だった。
「じゃあ、ちょっと行ってくるぜ」
篤志も、美咲に向かって言う。
「すぐ戻るから、こいつの補習の準備しといてくれよな?」
美雅も、のんびりとした口調で言う。
「アンタ、まだそのネタ引っ張る気?」
志穂がさすがに怒った口調になったけれど、美雅は何も言わない。
「ええ、皆さんも、気をつけてください」
美咲が言う。
「こんな騒動、パパッと、解決して……」
「ああ」
篤志は、頷く。
「必ず、『登校』するよ」
そして……
これからは、四人の時間を過ごす。
誰もが……
そう、決意していた。
そして。
最後に……
篤志、美雅、志穂の三人と。
美咲は……
互いの顔を、見合わせ。
頷き合う。
言葉は、口にしない。
だけど……
必ず、生きてまた会う。
その決意だけを、胸に秘めて。
三人は……
そして。
一人は……
互いに、逆の方向を向いて。
ゆっくりと、歩き出した。




