第十九話:家族
「志穂!!」
「志穂さん!!」
篤志と美咲の声が、同時に響いた。
犬鳴果穂が手を伸ばして、志穂の両肩を掴もうとして……
ぐら……
唐突に、その身体が傾いた。
どさ、と。
重い音を響かせて、果穂の身体が倒れる。
次いで……
とさ……
と、草の上に何かが落ちる。
「……」
志穂は、じっとそちらに目をやる。
落ちたのは、木工に使うハンマーだった、父がよく、日曜大工に使っていたハンマー、多分、スカートのポケットの中にでもねじ込んでいたのだろう。
そして……
倒れた犬鳴果穂の両脚…
土気色になってしまっていても解る、細くてしなやかな脚……
その両脚の足首……
そこが……
変な角度にぐにゃり、と折れ曲がっている事に、篤志は……
そして、志穂も……
ほぼ同時に、気がついた。
「そういう、事か……」
篤志は目を閉じ、嘆息しながら呟いた。
誰も何も言わない。
だけど、篤志が言わんとしている事は……
そして、この家で何があったのかは……
みんな、もう……
もう、解っていた。
「アンタが……」
志穂が、倒れた妹の髪を、そっと撫でながら言う。
「ああ……あああ……」
果穂が、口を大きく開けながら唸る……
「アンタが、守ってくれたのね……?」
志穂が呟くのと、ほとんど同時に……
ごん……!
果穂の背後の物置から、またしても……
誰かが、体当たりするような音が、響いた……
「……」
篤志は目を閉じたまま、その時の光景を、頭に思い浮かべていた……
多分、志穂が出かけてしばらくしてから、この家に、あの『ゾンビ』達が押し寄せて来たのだろう……
志穂の両親は、家の中の物を手当たり次第に投げつけたりして抵抗したに違いない…今は出かけてしまっている娘、即ち志穂とおなじくらいに大切な娘である果穂を、『ゾンビ』達から守るために……
だけど……
あの『ゾンビ』達に、そうしているうちに噛まれてしまった……
そして……彼らもまた、『ゾンビ』になってしまったのに違いない……
志穂の妹、犬鳴果穂は、そんな両親を置いて逃げる事が出来なかった……
必ず帰って来るであろう姉の為にも、ここで……
この家で、待っていなければならない。
「ただでさえ……」
志穂が、呟く。
きっと彼女も、篤志と同じ事を考えているのだろう。
「ただでさえ、アタシは寂しがり屋だもんね……」
志穂は、そう言って果穂の頭を、もう一度撫でた。
そうだ。
帰って来た時に、この家に誰もいないと、姉はきっと心配する。
心配するだけでは無く、多分、姉の事だから、寂しがって泣き出すかも知れない。
だからこそ……
だからこそ、皆でこの家で、姉を迎えないと。
だから果穂は、両親をここに閉じ込めた。
どんな姿になっても良い、姉と両親を、必ず会わせる為に……
そして……
『ゾンビ』と化してしまった両親を……
姉ならば、きっと解放してくれると信じて……
だがその時、彼女自身もまた、両親のいずれかに噛まれてしまった……
だからこそ、彼女は……
まだ、人としての意識があるうちにと、両脚の骨を砕いた。
姉を、家族みんなで迎える為に……
「……」
志穂は、ゆっくりと目を開ける。
そして。
志穂は、スカートのポケットから、一挺の拳銃を取り出した。
「……志穂」
篤志が呼びかける。
「……」
美咲も、背後から何かを言いたげな眼差しを向けていた。志穂は、篤志の声も聞こえていたし、その美咲の視線にも気づいていた。けれど……
「……アタシの……」
志穂が、小さく呟く。
「アタシの、妹と、親だから……」
「……」
「志穂さん……」
その言葉に、美咲が小さい声で言いかけるけれど、志穂は何も言わない。
何も言わず、志穂は……
倒れている果穂の後頭部に、銃口を押し当てる。
「……」
誰も、何も言わない。
そして。
志穂が、無言のままで銃の撃鉄を起こした。
「……果穂……」
小さい声で、志穂が妹に呼びかける。
「あああああああ……」
それに答えるように……
『ゾンビ』と化した犬鳴果穂が、唸る。
拳が入りそうなくらいに、大きく口を開けながら……
それを見ながら、志穂が少しだけ寂しげに笑う。
「アンタって、昔からそうよね? 楽しい時も悲しい時も、泣く時も怒る時も大口開けて、はしたないから止めなさいって、いつも言ってるじゃない」
「……あああ……」
果穂が、唸る。
「でも……ありがとうね、アタシの帰り、ちゃんと、父さんや、母さんと一緒に待っててくれて」
志穂が言いながら、銃の引き金に指をかける。
「アンタが、アタシの妹で……本当に……」
志穂が、言う。
「本当に、良かったわ」
そして。
「おやすみ、果穂」
志穂の言葉と同時に……
乾いた銃声が、裏庭に轟いた。
もう、呻き声を上げなくなった妹の頭を、もう一度そっ、と優しく撫でた後。
志穂は、ゆっくりと立ち上がり、果穂の亡骸の脇に落ちていたハンマーを拾い上げて、スカートのポケットに戻す。
「……次は、この中ね」
志穂が言う。
「……」
篤志は黙って、物置小屋を見る。
ごん……!! と、もう一度、中から身体をぶつける音。
志穂が黙ったまま、ゆっくりとした足取りで歩き出し、物置の取っ手に手をかける。
篤志は、じっとその物置を見ながら身構える。
さっき考えたとおりなら、この中には……
この中には……
「……みんな、武器は持った?」
志穂が問いかける。
「ああ」
言ったのは、篤志だけだったけれど、既に、美雅も、そして美咲も、篤志も銃を構えている。
そして。
がら……と。
志穂が、物置の引き戸を開ける。
「ああああああ……」
「おおおおおお……」
呻き声と共に……
転がる様にして飛び出して来たのは……
二体の、『ゾンビ』だった。
篤志は銃を構える。
二体の『ゾンビ』は、そのまま物置と外の段差に脚をもつれさせ、たたらを踏みながらも小屋の外に飛び出し、気味の悪い呻きと共に、ゆっくりと……
ゆっくりと、近くにいる少女。
即ち、志穂に向けて手を伸ばした。
「志穂!!」
篤志は叫ぶ。
だけど……
志穂は、動じた様子も無く、銃を構える。
「……母さん……父さん……」
志穂が、呟く。
「……」
篤志は、その二体の『ゾンビ』の……
否。
『ゾンビ』と化してしまった二人の顔を見る。
最後に会ったのは、もう随分前だけど……
それでも……
それでも、解る……
あの二人は……
「……」
志穂は、何も言わず、二体のうちの一体……
中年の女性の方、即ち……
母親の方に、銃口を向ける。
そのまま引き金を引く。
ぱあんっ!!
乾いた銃声が轟き……
志穂の母親が、頭から血をぶちまけながら、ぐらり、と仰向けに倒れる。
そのまますぐに、男性の方。
つまり……
志穂の、父親だ。
そちらの額に、銃口を向ける。
志穂は、もう何も言わなかった。
黙って、銃の引き金を引く。
またしても轟く銃声……
そして……
志穂の父も、また……
その場に、どさり、と……
仰向けに、倒れ込んだ。
「……」
志穂は、ゆっくりと……
ゆっくりと、息を吐いて、倒れた三人を見る。
……母さん。
……父さん。
……果穂。
志穂は、心の中で呟く。
……アタシは……
……アタシは……
……貴方達の、『娘』で……
……貴方の、『姉』で……
そして……
……貴方達の、『家族』で。
……本当に、幸せだったわ。




