第十八話:姉妹
同じ頃。
篤志と美雅は、犬鳴宅の裏庭に来ていた。
幼い頃、ここに遊びに来た時には、いつもいつもこの裏庭が篤志達の遊び場だった。三人で、時には志穂の妹も交えて四人で、暗くなるまでずっと駆け回っていた。
あの時と比べて、さすがにもう、少し手狭に見える様になってしまったけれど、それでも……
「……変わらないな」
篤志は、小さく呟く。
裏庭の右の端にある桜の木、美雅と篤志はそこで良く、どちらが先に上に登れるかを競い合った事があった、もともと運動が苦手な美雅は、いつも篤志に負けては悔しがっていたっけ……
そんな事を、篤志は一瞬、懐かしく思い起こしていた。だけど……
だけど今は、それどころじゃ無い。
「……篤志……」
美雅の声。
「……ああ」
それに答えるまでも無く、篤志は……
篤志は、既に気づいていた。
美雅の方を見る。
彼もまた、『それ』を見つけたのだろう。正面をじっと見据えている。
篤志も……そちらに目をやる。
その視線の先にあったのは……
かつては、とても大きく感じられた物置小屋。
今では、もう篤志達よりも少し小さくすら見えるその小屋の正面。
そこに……一人の少女が倒れていた。
物置小屋の正面の扉に背中を預けながら……
ぐったりと、俯くようにして……
一人の少女が、そこにいた。
「……」
それが誰なのか、篤志は……
そして、美雅は、すぐに解った。
「……」
そのまま二人は、ゆっくりと小屋に近づいて行く。
近づいて行くに連れて、少女の姿がはっきりと見えてくる。篤志達も通った、地元の中学の制服を着た少女。今日は日曜だけど、もしかしたら部活でもあったのかも知れない、だから制服姿なのだろう、だけど……
中学に行く前に……この家に……
「……」
篤志は、じっと。
俯いたままの少女を見つめる。
顔は、俯いてしまっているせいではっきりとは見えない。
だけど……
それは……
それは間違い無く。
「あいつの……妹、だよな?」
美雅が、小さく呟く。
「ああ」
篤志は、頷いた。
そして……
篤志は顔を上げ、目の前の物置を見る。
ぴったりと閉じられた物置小屋の入り口、鍵はかかっていない様子だけれど、少女が背中を預けているせいで、中からは、その身体が引っかかって扉を開ける事が出来ないだろう。
「……」
篤志は、じっと……
じっと、その小屋を見ていた。
ややあって……
ごん……!!
小屋の中から、壁に何かが……
否。
『誰か』が、激突する様な音が響く。
篤志は、目を閉じた。
その音の主が誰なのか。
そして……
この少女が、何故……
何故、こんなところで蹲っているのか。
その理由を、もう……
もう、篤志は完全に察していた。
そして……
今し方響いた大きな音は、多分、家の中にいる『あいつ』にも聞こえただろう。
二階にでもいたら、『あいつ』の事だから絶対に今の音が、裏庭から聞こえたと気づいて、窓から外を見るに違い無い。そして……
そしてきっと、気づくだろう。
ここに蹲るようにして座っている少女。
物置小屋の中にいるであろう『誰か』。
それが誰なのか……
きっと……
『あいつ』は、気づく。
気づいて、しまうのだ……
そして。
その篤志の考えを裏付ける様に……
かさ……
かさ……
かさ……と。
裏庭の草を踏みならす音が、背後から聞こえた。
篤志は、振り返る。
犬鳴志穂が、そこに立っていた。
「……果穂……」
志穂は、小さく呟く。
物置小屋の正面。扉に背中を預け、俯いて座っている少女。
それは……
紛れも無く、志穂の妹、犬鳴果穂だった。
志穂も卒業した、地元の中学の制服を着た妹、そういえば今日は、部活があるから、午後から登校しないといけない、と言っていたっけ……
だけど……
登校する前に……この家に……
この家に、きっと……
「『ゾンビ』達に、やられたみたいですね」
背後からの声。
乾美咲だ、あのまま部屋に置き去りにしてきてしまったけれど、どうやら後を追ってきたらしい。
「そう、みたいね……」
志穂は呟く。
自分が出かけて間もなく、多分、この家に『ゾンビ』達が押し寄せてきたのだろう、もしかしたらその中には、あの島田がいたのかも知れない。
そして……
妹は……奴らに……
そして……
そして、恐らくは……
「……」
志穂は顔を上げ、さっきの大きな音が響いた物置を見る。あの中には……多分……
そして……
「……果穂……」
志穂は、小さく呟く。
妹は……
彼女は、既に……
そして……
その予想を、裏付ける様に……
そして……
志穂の声に、反応したかの様に……
妹が……
犬鳴果穂が、ぴくんっ、と肩を震わせた。
そのまま、妹が……
犬鳴果穂が、ゆっくりと……
ゆっくりと、顔を上げた。
「……っ」
志穂は、その顔を……はっきりと見た。
土気色の肌。
眼球の無い、濁った白目だけの瞳。
そして……
「ああ……あああああああ……」
大きく開かれた口から漏れる、気味の悪い呻き声。
だけど……
だけどその声は……
紛れも無く、妹の……
そう。
ずっと……
ずっと昔から聞いてきた、妹の声……
ややあって。
妹が……
ゆっくりと、立ち上がる。
「ああああああ……」
呻き声と共に……
犬鳴果穂が……
大きな口を開け、志穂に噛みつこうと……
その腕を、伸ばして来た。




