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犬たちは死者と戯れる  作者: KAIN
第三章:犬たちは死者を知る

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17/40

第十七話:惑乱

 家の中は、しん、と静まり返っていた。

「今朝まで……」

 志穂は、呆然と呟く。

 今朝まで、いつも通りの我が家だったのに……

 今では、あちこちのガラスが割れ、壁に飾られていたジグソーパズルは床に落ち、戸棚の中の物や本棚の物は全て床にぶちまけられている。

「……みんな……」

 志穂は、消え入りそうな声でもう一度、家の中に呼びかける。

 だけど……

 何処からも、返事は聞こえない。

「……みんな、何処?」

 志穂は、もう一度呼びかける。

 今度は、さっきよりも少し大きな声で。

 だけど、やはり相変わらず、家の中から沈黙しか返ってこない。こんなにも静まり返った家の中は初めてだ、いつもは必ず、妹の声か両親の声がしていたのに……

 そして……

 自分の呼びかけに、誰も答えてくれない。

 そんな事も、ずっとこの家で暮らして来て初めての事だった、自分の声がすれば、必ず父か母がそれに応えてくれる、そもそも、自分が帰って来たのを見れば、すぐに妹が、家の中の何処にいてもその事に気がついて、飛び出して出迎えてくれるのだ、だけど……

 だけど……それが……

 それが今日は……無い。

 嫌な予感が、志穂の胸を過る。まさか……

 まさか、みんな……?

「……っ」

 志穂は、激しく頭を左右に振りながら、廊下を歩いて、二階への階段に向かう。

 階段の上にも、ガラスが散乱している、階段の上、二階廊下部分にある窓が割れているらしい、一体誰が、どうやって割ったのだろう?

 解らない。

 だけど今は、そんな事を考えている時じゃない。

 志穂は、ふらふらと二階に上がった。


 二階には、部屋は三部屋。

 志穂の部屋と、妹の部屋、そして両親の寝室がある。

「……」

 志穂は、自分の部屋を見る、ドアが半開きになっていた。

 そっ、と、中を覘き込む。

 酷い散らかりようだった、泥棒が入った、というようなレベルでは無い、本棚の本は全て床に落ち、ガラスは全部割れている、カーテンはボロ布になって床に落ち、ベッドすらひっくり返っていた……もしかしたら……

 もしかしたら、あの『ゾンビ』達が、部屋に押しかけてきたのかも知れない。

 志穂は、そんな事を思った。

 そして……

 そして両親と、妹を……

「……」

 目を閉じる。

 そして。

 志穂は、ゆっくりと目を開けた。

 ここにいても仕方が無い。家族を探そう。

 そのままくるりと踵を返して部屋を出る。


 隣にある妹の部屋の中を覘き込む。昨日の夜、妹に借りたCDを返しに行った、妹の部屋を訪れた時の記憶はその時のまま……だけど……

「……」

 志穂は、目を閉じ、天井を仰いだ。

 がさつな自分とは違い、キチンと部屋の整理整頓を心かげている妹の部屋は、いつもいつも綺麗だった。

 だけど今……

 今、その面影は全く無かった。

 自分の部屋と同じに、ガラスが割れた窓。

 ひっくり返った机や椅子、床の上に散らばった本やCD、ベッドの上には、昔自分が妹にプレゼントしたクマのぬいぐるみが、いつもいつも大事そうに置かれていたはずだ……

 けれど今、それは床の上に落ち、腹から綿をはみ出させた無残な姿になってしまっている。

「果穂……」

 志穂は、小さく妹の名前を呼んだ。

 もちろん、それには誰も応えてくれない。

「……」

 志穂は、ふらふらと……

 ふらふらと、妹の部屋を出る。


 すぐ隣にある両親の寝室。そこも覘き込んで見る。

 妹の、そして志穂自身の部屋と、全く同じ様な惨状が、そこにも広がっていた。

 両親が眠っていたダブルベッドは床に倒れ、毛布が丸まって床に落ちていた。

 クローゼットの中身が床に散らばり、スタンドが倒れ、窓ガラスは割られている、これだけ家の中を荒らしておきながら、一滴の血の跡も、そして両親や妹の遺体も見つからないのは……一体……

 一体、何故なのだろう?

 考えられる可能性は……

「……っ」

 志穂は、拳を握りしめる。

 とにかく、もう……

 もう、結論は出た。

「……みんな……」

 この家には、誰もいない。

 父も、母も……

 そして、妹も……

 誰も……いないのだ。

 もしかしたら……

 もしかしたらもう……

 みんな……

 みんな……

 あの、島田のおばあちゃんの様に……

 志穂は、その場に……

 その場に、へなへなとへたり込んでいた……

 目頭が、熱くなる……

 涙が、零れそうになる。

 嗚咽が、口から漏れそうになる。

 否。

 志穂は、顔を上げ、そのまま……

 そのまま、声を上げて……

 泣き、かけて……


 だけど……


「ダメですよ」


 声が、響く。

 背後から……

 甲高い、女子の声が。

 響く。

 そのまま……

 ふわり、と。

 背後から、両肩を抱きすくめられる。


「っ!?」

 志穂は、思わずびくっ、と身体を震わせていた。出かかっていた泣き声が、一瞬にして引っ込む。

「大きな声で泣いたら、外にいる『奴ら』に聞こえるかも知れません」

「美咲、ちゃん……?」

 志穂は、目だけを動かして言う。

 右肩に顎を乗せて、にっこりと……

 本当に、楽しそうに微笑む美咲の顔が、そこにあった。


「ご家族の皆さん、いないみたいですね?」

 美咲が言う。

「……っ」

 志穂は、何も言わない。

 確かに、家の中は無人だ。

 だけど……

「まだ、探していないところがあるわよ……」

 そうだ。

 それは嘘じゃ無い。

 少なくとも、まだ……

 まだ、一カ所だけ。

 だけど……

「そこに、ご家族がいるっていう保証、ありますか?」

「……っ」

 その言葉に、志穂は……

 志穂は、息を呑む。

「それに……」

 美咲が、くすくすと笑って言う。

「いたとしても、ご無事、なんですかね?」

「……そ それは……」

 志穂は、呻く。

 確かに……

 家族が、いるという保証は無い。

 いたとしても……

 いたとしても……

 みんな……

「……みんな……」

 志穂は、ぎゅっ、と目を閉じる。

「ここに来る途中……私が銃で撃った、あのおばあさんは、お知り合いですか?」

 美咲が言う。

「……」

 志穂は、言葉を失う。

「随分と、大切な方だったみたいですねえ?」

 美咲は、またしても……

 またしても、くすくすと笑う。

「私が撃たなかったら……貴方、あの時、あのおばあさんに『噛まれて』ましたよ?」

「……それは……」

 志穂は呻く。

「解りますよぉ? 大切な方、だったんでしょう? そんな人があんな姿になってるんです、怖い、悲しい、辛い、かわいそう、何とかしてあげたい……そんな事を考えて、動けなくなっちゃった、そんなところでしょう?」

「……」

 その通りだった。

 だけど志穂は、それを言葉にしたく無かった。

 この女に……

 この女に、心の中を完全に見透かされている。

 それを……

 それを、知られたくなくて……

「『他人』でも、そんな風になっちゃってるんです、もしも……」

 美咲の言葉が、耳の中に滑り込む様に入って来る、この女を、すぐに振りほどきたい、そう思った。だけど……

「もしも、『家族』のあんな姿を見たら……どうですか?」

「……っ」

 志穂は、息を呑む。

「どうですか?」

 美咲が、もう一度。

 もう一度、問いかける。

 ぎゅっ、と。

 更に強い力で、両肩を抱きしめながら。

 自分と同じ、高校二年生のくせに妙に大きな胸の膨らみを、これでもか、とばかりに押しつけながら。

 耳に……口を寄せながら。

「どうですか?」

 甘い囁き。

 耳を唇でついばまれる感触。

「想像、してみて下さい」

 美咲が、言う。

「ご両親や、妹さんが……あんな『ゾンビ』になってしまったところを……」

「……う……」

 志穂は、呻いた。

 それは……

 それは……

「嫌、ですよね?」

 美咲が言う。

「見たくない、ですよね?」

「……見たくない……」

 志穂は、呟く。

「だったら……」

 するり、と。

 両肩に、絡みつくように抱きついていた美咲の手が離れ、そのまま……

 そのまま美咲が、正面に回り込んでくる。

「だったら、見ない方が良い、ですよね?」

「……」

 確かに、そうだ。

 両親が……

 妹が……

 あんな……

 あんなおぞましい、『ゾンビ』になってしまった姿なんて、見たくない。

 でもそれは……

 それは、どうすれば見なくて済むのだろう?

 そんな方法が、果たしてあるのだろうか?

「だったら」

 美咲が、にこにこしながら、すっ、と右手を差し出して来る。

「見なければ、良いんです」

「……それって……」

 志穂は言い縋る。

 だけど美咲は、それ以上言わせずに、先を続けた。

「見なければ良いんですよ、早い話が……」

 美咲は、にっこりと笑う。

「逃げちゃえば、良いんです」

「……逃げる……」

 志穂は、呟く。

「そうです」

 美咲は、頷いた。

「怖い事、辛い事、悲しい事、何も……見なければ良いんです、私は、そうした方が良いと思います、あの……」

 美咲はそこで言葉を切り、目を閉じて、何かを思い出す様な仕草をしてみせる。

「あの、『確認』の時とか、最初に出会った時にも言いましたけど……私は……」

 美咲は、志穂の顔を見る。

「何処へ逃げれば安全なのかを、知っています」

「……」

 志穂は、言葉を失う。

「でも……」

 志穂の脳裏に浮かぶのは、二人の友人の顔。

 その中でも……

 その中でも、ずっと……

 ずっと、想ってきた『彼』は……

 『彼』だけは……

「あんな人達と一緒にいても、貴方は……幸せになれませんよ? むしろあの人達は、貴方を……これから……」

「……」

 志穂は、何も言わない。

「これから、『残酷』な『現実』に向き合わせようとしているんです」

「それって、どういう意味?」

 志穂は問いかける。

 だが美咲は、首を横に振る。

「そんなの、もう貴方が気にする必要はありません」

 ぴしゃり、と。

 今までの、甘く、囁くような口調はなりを潜めた、固く、鋭い口調で美咲が言う。

「貴方が考えるべき事は……そして……答えるべき事は、一つだけです」

「……」

 志穂は、言葉を失う。

「私と一緒に、『安全な場所』で生き残るか、それとも……」

 ちらり、と。

 美咲が視線を、割れたガラス窓の向こうに向けた。

 その先には裏庭がある、もしかして……

 もしかして、『彼ら』はそこに……?

「それとも、『彼ら』と一緒に、『辛い道』を進むか」

 美咲が、艶然と笑いかける。

「どちらにしますか?」

「……あ アタシ、は……」

 志穂は、呻く様に言う。

 自分は……

 自分は……どうしたいのだろう?

 もう……家族は……

 家族は、何処にも……

 何処にも、いない。

 きっと……

 きっと何処かで、『ゾンビ』と化しているのだろう。そして……

 そして、誰かを……

 誰かを……

 志穂は、ぎゅっ、と目を閉じた。

 それらを、見ないで済む。

 考えないで済む。

 『救わなくて』済む。

 そんな……

 そんな方法が……

 そんな……『道』が……

 もし……

 もしも……あるのならば……

 島田のおばあちゃんを、見た時みたいに……

 悲しくて……

 辛くて……

 怖くて……

 そして……

 可哀想で……

 あんな……

 あんな思いを……

 しなくて……良いのなら……

 美咲が、すっ、と。

 右手を、差し出してくる。

「さあ」

 美咲が言う。

 はっきりとした口調で、言う。

「私と、一緒に逃げましょう」

「……っ」

 篤志の顔を、思い浮かべる。

 だけど……

 その顔が……

 どんどん……

 どんどん……

 真っ黒な色に、塗りつぶされていく……

「……うう……」

 志穂は、ぶるぶると……

 震える手を、伸ばす。

 あの手を、握ったら……

 自分は……

 自分は、もう……

 『彼』と……

 篤志と、一緒にはいられなくなってしまう。

 それは、嫌だ。

 そう思いながらも……それでも……

 それでも、父と母、そして妹が、島田の様になってしまった姿を見なくても良い。

 その事が……抗いがたい魅力となって、志穂の心に滑り込んでくる。

 解らない……

 どうすれば良いのか、解らない。

 だけど……

 だけど今……

 今、目の前には……

 目の前には、『彼女』がいて……

 『彼女』の手は、優しくて、温かそうで……あの……

 あの、『ゾンビ』達とは違っていて……

 そして……

 篤志と、そして……

 美雅の手よりも、温かそうで……

 その手に、僅かに……

 僅かに、指先が触れる。

 まさに、その瞬間だった。


 ごん……!!


「っ!?」

 いきなり響いた大きな音に、志穂は……

 志穂は、びくっ、と身体を震わせて立ち上がった。

 今のは……?

 ふらふらと……

 視線を、音がした方に……部屋の窓の外に向ける。

 裏庭が、見える。

 表の庭の、半分くらいの広さの庭、今では大して大きいとも感じ無いけど、小さい頃はよく、遊びに来た篤志や、美雅、それに妹も交えて、四人で走り回っていた。

 そして……

 その庭の端の方には、物置が置かれている。

「っ!!」

 志穂は、息を呑む。

 その物置の前に、数人の人影が見えた。

 影のうちの二つ、物置の前に立っているのは、二人の少年……

 篤志と美雅だ。

 そして……

 その二人の間……

 物置の扉の前に……

 背中を預けるようにして、座っている影……

 それは……

 それは……

「……果穂……!?」

 志穂は、小さく呟いた。

 そのまま……

 そのまま、弾かれた様に、志穂は走り出した。

 美咲に背を向け、バタバタと部屋を飛び出し、階段を駆け下りていく。


「……あーあ……」

 それを見ながら……

 美咲は、軽くため息をついた。

「もうちょっとだったのに……」

 ぶつぶつとぼやきながらも、美咲は、ゆっくりと……

 ゆっくりと、階段を下りていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] あぁーっ、果穂ちゃん無事だった!?良かった!! それにしても、美咲ちゃんは人の心の弱い部分や不安に上手くつけ込んでくる……気を抜いたら言いなりになってしまいそうですね(;´・ω・)
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