第十三話:校長
体育館内には、まだざわめきが響いていた。
だけど……
ばたんっ
「……?」
突如として、出入り口付近で大きい音が響き、その音に、ざわめいていた人々がびくっ、と身体を震わせたりしながら沈黙する。
どうやら、体育館の出入り口の扉が閉じられたらしい。『生徒会』の腕章を付けた数人の生徒達が、扉にしっかりと鍵を閉めるのが見えた。
開いていた窓も、ぴったりと閉じられ、鍵がかけられる。
あの『ゾンビ』達の対策だろう。奴らは力も強いし、音にも敏感だが、基本的に知恵は無い様子だから、多分鍵をこじ開けるような真似は出来ない、それを見越して扉を閉めたのだ。
そして……
「……あれって……」
志穂が、ぽつりと呟く。
その言葉に、篤志と他の二人も、志穂が見ている方を見る。
体育館の正面。
全校集会の時などで、教師達が立つ演壇の上に、一人の男が姿を現していた。
初老の男だ。
パリッとした高級そうなスーツを着こなし、髪は白かったけれど、きちんと整えられている。
体つきも、年齢を感じさせないがっちりとした体型だ。
「……校長、ですよね? うちの高校の」
美咲が小さい声で呟く。
「……」
誰も、何も言わない。
そう。
確かにそこにいるのは、間違い無く……
篤志達が通う、滝原高校の校長だった。
校長が、ゆっくりと一礼する。
誰も何も言わない。黙ってそれを見ていた。
ややあって……
「まずは皆さん、ご無事で何よりです」
校長が、穏やかな口調で言う。
「私は当校、滝原高校の校長を務めます、玉神弘光と申します」
校長、玉神弘光はそう言って、またしても頭を下げる。
「……」
篤志は、意外そうな表情で校長を見ていた。この校長は、確かに性格は穏やかだけれど、普段の朝礼や全校集会の時には、何処か上からの発言で物を言い、生徒達からはあまり好かれていなかったというのに……今は……
今はまるで、別人の様に落ち着いた雰囲気になっている。
「……なんか、いつもと雰囲気が違うな、校長……」
美雅が、少し驚いた様子で言う。
「……ああ」
篤志は頷く。
一体……
一体何が、彼を……変えたのだろうか?
こんな状況だから?
否。
そればかりでは、無い気がする。
とにかく……
今は……
黙って、この男の話を聞くべきだろう。
篤志は、自分がそんな風に思っている事に驚いていた。この状況だから、確かに『大人』というものに頼りたくなるのは道理だけれど、あの校長は……
あの校長は、『そういう』人間では無かった。少なくとも、この騒動が起きるまでの間は。
「……」
篤志は黙って、校長を見ていた。
「……まずは、『奴ら』は音に敏感です、それ故にマイクの使用は控えさせて頂きます」
そう前置いてから、玉神はぐるりと体育館内に居合わせた人々を見回す。
「既に、皆様目にしたとは思いますが、我が街は、生ける屍達に占拠されました、何処で誰が生き残っているのか、残念ながら我々も正確には把握しきれてはいません」
「……」
その言葉に、何人かの人々が俯いた。
皆、家族の事を考えているのだろう。
出来れば、迎えに行きたいと思っているのに違い無い。
篤志は、そう思った。
「もしかしたら、この街、いいえ……」
玉神は、そこで言葉を切り、首を横に振る。
「この『世界』で生き残っているのは、我々だけかも知れません」
「……そんな……」
誰かが呟く。
その声がした方を、玉神はじっと見つめる。
「残念ながら、『奴ら』に関して何も解らない以上、そう考えるのが一番妥当でしょう」
その言葉に、声を上げた奴は、小さく呻いた。
「……」
篤志も、目を閉じる。
美雅や志穂以外にも、自分のクラスには沢山の生徒がいた、それなりに親しくしていた奴だっている。
みんな……今、何処でどうしているのだろう?
無事なのか?
それとも……
「……」
篤志は、軽く頭を横に振った、今は考えても仕方が無い。
「いずれにしても、我々には『奴ら』と戦う術も、何故あのような者達が現れたのかも、調べる術もありません、それ故に、ここに退避するという道を選ばざるを得なかったのです」
それは……確かに事実だ。
玉神の話は、更に続く。
「皆様におかれましては、ひとまずはここに腰を落ち着けて頂き、救援を待って頂きたい」
「……ち ちょっと待って下さい」
手が上がる。
篤志達よりも年下の少女だった、中学生くらいだろうか?
「わ 私、お母さんとお父さんを探しに行きたいんです」
少女が言う。
だが玉神は、軽く首を横に振った。
「申し訳ありませんが、それは許可出来ません」
「……そ そんな……」
その言葉に、少女が絶句する。
「そんなの、ひどいじゃ無いか!!」
別な声が上がる、今度は年若い男性だった。
「俺は隣町に家があるんだ、家族を迎えに行かせてくれよ!! 女房と子供が、家でどうなってるか……」
「それは、ダメです」
玉神は、もう一度、ぴしゃりと告げる。
「……何でだよ!?」
男が怒鳴る。
「この体育館の中には、皆様全員だけであれば、どうにか養えるだけの備蓄があります、ですが……」
玉神は、全員をもう一度見回した。
「それ以外の者達まで養えるだけの水や食料はありません」
「……それは……つまり……」
最初に手を挙げた少女が言う。
「家族を見捨てて、ここにいろって事ですか?」
「……」
その言葉に、玉神は目を閉じる。
だけど……
少しして、目を開けた玉神は、はっきりとした口調で告げる。
「はっきりと言えば、そういう事です、皆様はここから出てはならないし、これ以上余計な人間を収容する事は許しません、皆様は、ここで生きる事が出来ますが……」
他の人間は、その限りでは無い。
篤志は、思った。
「他の者達は、もう……助けられません」
「……そんな……」
「……ひでえ、ひでえよアンタ!!」
女中学生が呻く様に言い、若い男性が怒鳴る。
他の人達からも、小さい声で、あるいは大っぴらな抗議の声が上がる。
けれど玉神は、動じた様子も無く、自分の背後、演壇の後ろ側に立つ生徒達に目配せしてみせる。
それを見て、一人の男子生徒が前に進み出る。
こちらも『生徒会』の腕章を付けた男子生徒だ。篤志はそれが、この学校の生徒会長である事に気づいた。
抗議の声が上がる中で、その生徒会長が、校長を守るようにすっ、と、静かな足取りで演壇の前に進み出る。
そして……
懐から、何かをゆっくりと取り出した。
それが何なのか、その場にいるみんなが認識するよりも早く……
ぱあんっ!!
「っ!?」
風船が割れるのにも似た乾いた音。
次いで……
がしゃんっ!!
ガラスが砕ける音、次いで、体育館の真ん中に、まるで雪の様にパラパラと、白い『もの』が降ってくる……
それは……体育館の照明だった。
その音。
そして……
降り注いだそのガラス片を見て……
抗議していた人々が、全員、ぴたり、と黙り込んだ。
「……もしも」
玉神の静かな声が響く。
「今言った事に従わず、食料の奪い合いをしたり、あるいは……誰か他の人間をここに入れようとしたり、許可無く、ここから出たり、あるいは誰かを入れたりした場合」
がしゃ。
がしゃ。
がしゃ。
と、体育館のあちこちで音が響く。
館内のあちこちに立っていた生徒達。全員が全員、『生徒会』の腕章を付けた生徒達、生徒会に所属する生徒達だ、この学校は、妙に生徒会の役員が多い事で有名だった。
そして……
その全員が……
形状や、大きさは様々だったけれど……
全員が、黒光りする銃を、しっかりと握りしめていた。
それらを、容赦なく人々に向けている。
「その者達に対して、私どもは容赦致しません」
「……」
篤志は、思い出す。
ここに入る前……
体育館入り口で、『噛まれた』疑いのある子供を、生徒会の役員が、何の躊躇いも無く殺していた事。
「もはや――」
玉神は、そこでにっこりと笑う。
「取り繕うのは止めにしましょう」
玉神が言う。
その口調に、さっきまでの穏やかさは微塵も無い。
人を見下し、小馬鹿にした、いつものこの学校の校長の態度だ。
「皆様は、運良く生きてここに辿り着けました、つまり……」
玉神は、もう一度全員を見回す。
「つまり皆様は、この『狂った』状況で、生き残るだけの『力』がある『人間』です」
篤志は……
そして他のみんなも……
何も、言わなかった。
「私は、そうした『力』のある皆様を、心から尊敬し、歓迎致します、ですが……」
にやり、と。
玉神が、人をバカにした笑みを浮かべる。
「その『力』の無い者達は、もはや死ぬしか無い」
つまり……
自分の両親には、その『力』が無かった、という事だ。篤志はふんっ、と鼻を鳴らしたいのを堪えながら思った。
「『そういう』時代が、ついに到来したのです」
玉神が言う。
「生き残った『強運』、そして己の『力』を存分に享受する事です、そして……」
玉神は、もう一度。
もう一度、全員を見回す。
「それ以外の事は、全て忘れてしまいなさい、そうすれば皆様は、新たな人類となる事が出来ます」
「……っ」
篤志は、思わず胸を押さえていた。
志穂も、顔をしかめている。
美雅も、あまり感情を表に出さないタイプの彼が、嫌悪感をあらわにしていた。
「……新興宗教、いえ……」
美咲が、小さい声で言う。
「新興国、ですね、校長先生が『王様』の、新しい国の誕生ですよ」
その言葉に、誰も何も言わない。
やがて……
「それでは皆様、ひとまずはおくつろぎ下さい、後ほど、食料を配布致しますので」
玉神。
否。
この場にいる全員の『王』は。
そう言って、最初の時と同じに全員に非の打ち所の無い礼をした後。
ゆっくりと、演壇の袖の方へと歩いて行った。




