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その九十六 吉継の最期

「くっ、若年の秀秋ではあの(したた)かな家老どもを御し切れなかったか ・・・・ 」


しかし大谷吉継は万一秀秋が小早川をまとめ切れない場合にも備えを怠らなかった。


「小早川は統率が取れておらぬ、松尾山に押し返せ」


吉継は反転攻勢のために温存しておいた大谷軍の精鋭六百を小早川の押さえに回した。



・・・・ 切り札の小早川を失ってしまっては今日中にけりをつけるのは難しいぞ ・・・・



このときまだ吉継の脳裏には敗戦の二文字は無かった。


決死の覚悟の大谷軍の兵士と、ついさっきまでどちらに付くのかもはっきりしなかった小早川の兵士とでは(はな)から勝負にならなかった。


満足な指揮官すらいない小早川の一番隊は倍近い人数にも関わらず二度、三度と大谷軍に押し返されあわや腰砕けかと思われた。


そのとき西軍内において、吉継でさえ夢想だにしない動きが現われた。


吉継と共に北陸戦線を戦ってきた脇坂安治がよもやの裏切りで小早川と押し合っている大谷隊の側面を急襲した。


脇坂のまさかの裏切りを間近に見て浮き足だった赤座、小川、朽木らの小早川を東軍に偽装するために松尾山に張り付けていた各隊も勝ち馬に乗り遅れまいと脇坂につられて大谷隊への攻撃に加わった。


押しつ押されつの最中を側面から急襲されては如何なる軍隊とて耐え切れない。


さすがの大谷隊の精鋭もこれには崩れた。


大谷隊の綻びを突いて小早川の二番隊以降の新手が山道から開放されて次々と雪崩をうつように平野部に押し寄せた。


押し(まく)られながらも一兵として引かぬ大谷隊を呑み込み粉砕しながら、小早川の新手の大軍はくたくたに疲れきっている宇喜多隊とぎりぎりで持ちこたえていた小西隊に襲い掛かった。


目の見えぬ吉継に代わって最前線で指揮を執っていた平塚為広討ち死にの報に及んで、吉継も敗戦を覚悟し本作戦の全責任をとって自刃することを決意した。


人の背より高い(すすき)が密生する薮原にて輿を降りた吉継は、甲冑を脱ぎ捨て誰とも判らないようないでたちになった。


輿はそのまま人夫に持ち去らせた。


平塚為広に送った檄文が辞世であった。


脇差を抜いた吉継は何の躊躇も無く左腹深く突き立て少し右に引くと前方に崩れた。


五助は吉継の右側の首筋に(やいば)を当てると一気に引き上げた。


すでに絶命していたと見えて血は噴き出さなかった。


五助はそのまま主君の首を切り取ると自分の陣羽織に包んでその場を離脱した。


・・・・ このまま関ヶ原を脱出することはまず不可能であろう、安全(・・)なところに埋めて隠さねば ・・・・


身を低くして薄の原を彷徨う五助の前を突如騎馬が率いる小隊が遮った。


・・・・ しまった ・・・・


騎馬の主と五助の目が合った。


藤堂高虎の甥の高刑であった。


「・・・・ ! ・・・・ 、其の方、大谷の湯浅五助ではないか」


高刑の目が五助が大事そうに抱えた陣羽織の丸い包みを捕らえた。


五助は覚悟を決めた。


「如何にもこれは我が主君の御印(みしるし)で御座る。

主君は負け戦の責任を一身に負い腹を召された。

某は一命をかけてこれを隠さねばならぬ。

如何であろう、某の首と引き換えに主君の御印は御勘弁いただけぬだろうか」


大谷吉継の首ともなれば大手柄である。


高刑はひとつ五助に問うた。


「この合戦を差配したは大谷殿であったと申されるのか」


「 ・・・・ 如何にも、我が主君で御座る」


二人の間にしばしの沈黙が流れた。


五助の首などよりはるかに重要な情報を手に入れることができた高刑は五助の願いを聞き届けた。


「委細承知!」


かくして吉継の首は家康の前に差し出されずにすんだ。



一方、宇喜多軍の後方では兵達に撤退の指示を出す武将があった。


「もはやこれまでである、引け、引けー。死にたくない奴は逃げろー」


本多政重であった。


後方の兵が敗走に傾いたのを契機にそれまで頑強に持ち堪えていた宇喜多軍も崩壊を始めた。


先陣を切っていた宇喜多秀家が家老の本多政重を探したときには、すでに政重は東軍に囲まれる前に北国街道遥か彼方に消え去っていた。



「おのれ政重、初めから我を見捨てるつもりであったか ・・・・ 」



ちりじりに霧散した自軍の中から僅かばかりの近習と共に秀家は既に敵兵が渦巻く街道を諦め伊吹山中に活路を求め彷徨(さまよ)うのであった。



「内府が不戦の密約を破りおった ・・・・ 」



それまで遠く離れてにらみ合い鉄砲玉のやり取りしかなかった井伊勢が急に島津勢に攻めかかってきた。



「おのれ内府め、こちらが寡兵だと見縊(みくび)って約束を反故(ほご)にする気か」



そのとき敗走する小西行長の兵卒達が島津の陣中を突破して逃げようとしていた。



「ええい、西軍を討てーーー」



島津義弘は急遽東軍に衣替え小西の敗残兵を討ち取り始めた。


さすれば井伊直政も思いとどまり島津への攻撃が止むと信じて。


島津からも追われた小西の兵達は北への進路を塞がれ西の池寺池の中へ次々と追い立てられて落とされた。


哀れ甲冑を身に着けて満足に泳ぐことも這い上がることも出来ずに次々溺れ死んだ。


それでも島津への赤備えからの攻撃は止まず、当初千五百いた島津軍はあっという間に残り三百を切る程に減っていた。


北国街道への退路すら既に絶たれ義弘は切腹をも覚悟したが、どうにも家康に一太刀浴びせなければ気が済まない。


「豊久、このままでは死んでも死に切れぬ。家康に薩摩隼人の恐ろしさを味あわせてくれる。

残った兵で突撃隊形を組ませ家康がどれだけ汚い事をしたかを関ヶ原中の大名達に知らしめてやるのだ。

それが先々、徳川への薩摩の切り札となろう。皆の者、これはけっして無駄死にでは無いぞ」


前代未聞の薩摩の正面突破の撤退劇は、どさくさに紛れて島津義弘を亡き者としようと(たくら)んだ、家康に対する命がけの抗議であった。

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