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その九十四 松尾山の行方

三成が島津に伝令に出した八十島助左衛門(やそじますけざえもん)が困り顔で戻ってきた。


「いかがいたした、島津は一向に動かぬではないか」、三成が問いただした。


「島津義弘様、井伊方と撃ち合うのみで一向に攻め込む気配無く、某にも言い掛かりをつけて今にも切り掛からんとの態度で取り付く島も有りませぬ。

あの様子ではすでに東軍と手打ちを致しておるものと推察致します」


・・・・ さっきの赤備えの突入は示し合わせたものか ・・・・


「くっ、大事なところで頼りにならぬ日和見め」


しかし旗色が不鮮明な島津も毛利も吉川も小早川さえ動かば我先に馳せ参じて来よう。


三成は合図の狼煙(のろし)を何度立ち昇らせてもなかなか動きの現れない松尾山の山頂を睨んだ。


そのとき山上の長旗がゆらゆらと動き始めるのが見て取れた。



「秀秋殿、待ち()びたぞ ・・・・ 」



一方関ヶ原の中央まで本陣を進めた家康も小早川の動きを見止めていた。



「小僧め、ようやく動き出しおったわ ・・・・ 」



家康は松尾山の山頂に出撃の動きが見て取れたことに安堵の声を上げた。


松尾山の山上から関ヶ原の平野部に駆け降りるためには正面からでは樹木が密生する急斜面の為降りられず、山の裏手の山道をぐるっと回って関ヶ原の北西部の谷間から出てくるしかない。


標高三百(メートル)の山頂から麓まで(かち)の駆け足で十五分ほどはかかる。


東西両軍どちらの軍も小早川が自軍の味方に加わると思い込んで混戦を持ち堪えていた。


家康は馬の(あぶみ)につま先をぐっと入れて、もし万が一小早川が西軍についたときに備えて脱兎の如く逃げ出す心積もりに怠りは無かった。



答えはもうすぐ、小早川軍が山陰から関ヶ原に現れた瞬間に判る。

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