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その九十二 切り札

慶長五年(1600年)七月十五日 北政所の隠居屋敷


「秀秋、そなたの巧妙な立ち回りこそが、老獪(ろうかい)で周到な内府殿を(たばか)る最後の切り札となりましょう」


北政所は一時は我子として育てた秀秋に諭すように語った。


三成の秘中の策であった徳川討伐の勅命を得た上で秀頼を総大将に担ぐ策は、淀の方の出生の秘密が朝廷に漏れる事態により頓挫(とんざ)していた。


かくなる上は総力戦をもって家康と雌雄を決するしか無い。


西国の雄、毛利輝元を総大将に迎えたことで毛利家筋の大名達と西国の外様大名を多数引き入れることに成功した三成であったが、

謀略に長けた徳川が次々と仕掛けてくる切り崩し工作に対抗するためには、こちらも敵の懐に飛び込んで死中の活を拾わなければ到底太刀打ちできないと危惧していた。


その重要な役目を、かつての豊臣家の跡取りであり、今は小早川家の当主である秀秋に託すべく三成と北政所は揃って秀秋と向き合っていた。


御義母上(おははうえ)、過去に如何なる経緯(いきさつ)があろうともこの秀秋、豊臣の一員であることを忘れてはおりませぬ。

なに、心と裏腹の外面(そとづら)を装うことには養子を渡り歩いて慣れておりますれば必ずや内府を(たばか)ってみせまする」


まだ自分のことを母と呼んでくれる秀秋に北政所は感涙し、三成も逞しく成長した秀秋を頼もしく感じた。


「秀秋殿、某を恨む者は(おお)御座います。秀秋殿にもこれまで度々不愉快な思いをさせてまいったこと今更ながらこの三成、心より詫び申し上げまする」


秀秋の前に平伏する三成に秀秋が擦り寄り手を取って起き上がれせた。


「某は治部殿に何の遺恨も御座りませぬ。豊臣の忠臣として亡き太閤殿下(おちちうえ)を庇い支えてくれた恩人と思うておりまする」


秀秋は幼い頃より聡明で万事私心が無かった。


それはそうである、秀秋は聡明なおねねの甥子である。 


三成と秀秋の和解と固い結束を目の前にして北政所の目からは幾粒もの涙がこぼれた。


「わたくしが至らぬばかりに皆に余分な苦労をかけ、申し訳なく思います。

わたくしが(へそ)を曲げたりせず西の丸にこの大きな尻ででんと居座っておれば、家康殿にここまでの専横を許すことも御座らなかったであろう ・・・・」


秀秋は三成の方に向き直って小早川家の現状を有り体に説明した。


「義父の小早川隆景が死去すると譜代の重臣達の多くは他家に出て行き、今現在の小早川は太閤殿下が秀秋に付けてよこした平岡頼勝と稲葉正成の二人の家老が牛耳っております。

正直に申し上げて、当主と云えども若年の某の意向がどこまで通るか微妙な状況で御座います。

平岡頼勝は東軍に組する黒田如水と縁戚で、その息子の黒田長政とも昵懇である様子。

稲葉正成は継室(けいしつ)を得てより人が変わった様に利に敏くなった様子に御座います。

この二人の家老が小早川を掌握するための最大の抵抗勢力になることは間違い御座いません」


三成の顔が険しくなった。


「稲葉正成殿の継室は確か斎藤利三(としみつ)殿のご息女の"お福"殿が入られたはず ・・・・ 」


三成の言葉に北政所も顔が曇り、三成と顔を見合わせた。


・・・・ こんなところでも本能寺の遺恨が豊臣に暗雲をもたらそうとは、明智珠様の御自害といい何という皮肉な巡り合わせ ・・・・


斎藤利三は本能寺に於いて明智光秀と共に織田信長と跡継ぎの信忠を殺害した明智家の家老である。


二人の心配そうな気配を察したのか秀秋はこうも付け加えた。


「しかし、太閤殿下がお与え下さったもう一人の家臣、松野重元はひたすら豊臣に忠義を尽くす男で、この男だけは信用できまする」


三成は内府の小早川に対する切り崩しを逆に利用して、徳川に予想もしない大打撃を与えられるのではと希望が開けた。


「決戦に至るまでの作戦は大谷刑部に一任して御座います。

刑部の策では先ず伊勢方面を押さえ、京・大坂への東軍の進路を美濃・近江経由に絞り込ませ大垣城を拠点に西軍を集結させまする。

その間、密かに関ヶ原に強固な野戦陣地を構築して、あたかも偶発戦を装って徳川方を待ち伏せに致します。

刑部の申すところでは、この策はかつて信長公が最強を誇る武田の軍勢を討ち破った長篠決戦と同じ戦略であるそうに御座います。

勝敗を分けるのは温存させた兵力を如何に頃合良く大量投入できるかにかかっております。

小早川にはこの反転攻勢の大部隊の役を担っていただきたく存じます。

それまで秀秋様は二人の家老の企てに乗ったかの如く旗色不明のまま徳川に味方する振りを通して、

土壇場で西軍に豹変すると云うのが秀秋殿の身の安全の点からも作戦の上からも宜しかろうと存じます。

布石として明後日からの伏見城攻めでは、わざとやる気の無い振りをして東軍の旗色を公然と(にじ)ませ、某との関係悪化を家老達に印象付ける振る舞いをされるのがよろしかろうと ・・・・ 」


若い秀秋は大谷吉継の巧みな策に舌を巻いた。


「敵を欺くには先ず味方から ・・・・ で御座いますな」


こうして十九歳の秀秋は心中奥深くに本心を隠したまま運命の松尾山に至るのであった。

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