その九 おねねと藤吉郎
永禄四年(1561年) 桶狭間の翌年の尾張領内
「おねねー、今帰ったぞー」
藤吉郎は土間で足をすすぐのももどかしく、奥で縫い物をしているおねねに覆いかぶさった。
奥といっても貧乏侍の長屋である、戸が開いていれば表から丸見えである。
藤吉郎はいつでもこうであった。
御屋形様のお供でいく日も家を明けていたのならともかく、お城勤めで毎日家に帰って来られるときでも、すぐにおねねにのしかかってきた。
だんだんに慣れたが嫁いで間も無い頃には、おねねはきゃーきゃーいいながら外まで逃げ出していた。
何しろおねねは十四で藤吉郎に嫁いだのだ。
養父の浅野長勝は、苗字すら持たぬ藤吉郎との結婚を身分違いと許さなかったが、おねねは十も年上の愛嬌のあるこの小男を嫌いではなかった。
ある日、城から帰った長勝は藤吉郎におねねの実家の木下姓を名乗らせることで、すんなりと二人の結婚を許した。
媒酌は長屋の隣に住む前田犬千代、松夫婦がつとめ、ささやかな祝言が行われた。
祝いの客も無く馳走とて無いままごとの様な祝言であった。
こののち藤吉郎が天下人まで登り詰めるなどと誰に想像できただろう。
このとき藤吉郎が犬千代と松にしたためた礼状の文字が不釣合いに達筆であったことがおねねの記憶に強く焼きついていた。
十二年後、近江の浅井長政を滅ぼした功績で出世した藤吉郎は、ついに近江長浜に城を得て一国一城の主となった。
名も羽柴秀吉と武将らしく改め、織田家の家臣としての地位を固めつつあった。
しかし、いつまでたっても子ができぬおねねに対して辛くあたることも多くなり、この頃から徐々に側室を持つようになっていったのである。