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その八十七 反故

福島正則に宇喜田勢への突撃の機会を与えて抜け駆けの借りを返した井伊直政と赤備えの軍団は、いったいどこを目指したのか。


普通に考えれば笹尾山の三成本陣に突入すべく、前線の島左近と華々しい戦闘を繰り広げるはずである。


はたして井伊直政と松平忠吉が相対(あいたい)したのは西軍陣地の二番備えに陣取る島津勢であった。


大きな溜池の池寺池を背後に背水の陣を敷く九州の覇者島津義弘は七十三万石の大々名にも関わらず、関ヶ原には僅か千五百の寡兵(かへい)でしか参陣していなかった。


・・・・ 金が無かったのである。


島津は半島出兵で金を使い果たしていた。


三成は遠路はるばる参陣する西国大名に大坂城の地下蔵に秀吉が遺した金銀を気前良く配るつもりだった。


しかしすでに家康の軍門に下りし且元の反対で、いっさい手が付けられなかったのである。


「秀頼様も金も出せぬ、あくまで此度の戦は豊臣家中の家臣同士による主導権争いの戦であり、秀頼様はどちらにも加担いたさぬ」


三成は土壇場で且元に梯子(はしご)をはずされていた。


島津義弘は毛利勢とは別ルートで家康と不戦の協定を取り結んでいた。


家康は毛利、吉川、小早川との交渉を黒田長政に、京極、立花、島津の調略は井伊直政に任せていた。


輝元とは不戦の密約を結び、京極には囮の砦を演じさせ強豪立花に決戦不参加の大儀名分を与えた。


成り行き上しぶしぶ西軍の本陣脇にまで参陣した島津とは、交渉に当たった直政本人がアリバイ作りのための睨み合いを仕掛ける手筈であった。


・・・・ 直前までは ・・・・


島津はその傑出した兵士個々人の戦闘力の高さを拠所(よりどころ)にした軍事力と琉球を通じた明貿易で得られる経済力を背景に、

今後の徳川支配を脅かす反対勢力となる恐れがあった。


石高、国力から推し量れば関ヶ原には二万余の大軍で押し寄せるかとも予想していた家康であった。


ところが実際ふたをあけてみれば島津の兵は千五百足らず。


どさくさ(・・・・)に紛れて目の上のたんこぶを始末するのは徳川のお家芸である。


「直政よ、島津の調略を苦労して成し遂げた其の方ゆえ異存も御座ろうが曲げて願い申す。

島津を残さばゆくゆく徳川にとって計り知れない脅威となるやも知れぬ。この千載一隅の機会、逃すべからず」


家康が出陣直前の井伊直政に福島正則への抜け駆けと共に与えた密命が島津義弘との密約を反故(ほご)とする討伐であった。


さすがの井伊直政も躊躇(ためら)いの色を見せたが、そこは本多正信と左右の腕を分かち合う家康の謀臣である。


「委細承知仕りまして御座います」


一切不服の言葉を返さず承知した。


家康は後継者とすでに決めている秀忠と行動を共にする正信と、この直政こそが徳川千年王国の基礎を築く影の功労者であると心から感謝するのであった。

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