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その八十六 緒戦

福島正則を抜け駆けして戦端を開いた松平忠吉と井伊直政は、一旦自軍に引いて再突入の機会を覗うことになる。


彼らは家康から、もうひとつ重要な密命を帯びていた。


宇喜多、福島双方が撃ち掛けた最初の斉射では死傷者はほとんど出なかった。


当時の鉄砲は二百米も離れてしまうと命中率も殺傷能力も著しく落ちてしまうのだった。


敵を壊滅するにはあくまで敵陣に突入して槍と刀で制圧しなくてはならない。


大軍勢の宇喜多は北国街道沿いの藤古川を天然の掘に見立てて何段にも陣地を構築していた。


数には劣るが、東軍先鋒の任務を帯びた福島隊の一段目が鉄砲を先頭に静々と宇喜多の陣地に擦り寄った。


その後ろには援護の弓隊、次いで突撃を担う長槍隊、最後尾に混戦を制圧すべく手槍を携えた武者隊という陣形で押し出して来た。


かつて種子島と呼ばれ珍重された鉄砲も、当初に比すれば安価に量産される様になり、どの大名家も陣形の先駆けに弓矢より射程の長い鉄砲を用いるようになっていた。


とは云え、鉄砲の連射は熟練者でも一分間に二〜三発が精々であり、相手から応射されたり矢を射掛けられたりすれば更に連射速度は落ちざるを得なかった。


鉄砲が最も威力を発揮するのは、射手が身を隠せる城砦の銃眼から、近づく敵兵を狙撃するという籠城戦である。


身を隠したり敵の接近を遮る掘りや城壁の無い野戦では、敵の最初の突進を弱めることが精々であった。


速射がきかない鉄砲は混戦に巻き込まれては無用の長物であり、高価な鉄砲を敵に奪われない為にも鉄砲隊は早めの手仕舞いとなり野戦の主戦力には成り得ていなかった。


只一つの例外は立花の突撃銃であったのだが、歴戦の立花は未だ大津にあった。


それぞれの隊の中央と両脇には騎乗した兜首が付いて足軽雑兵に檄を飛ばしていた。


騎馬の機動力は突撃より連絡と撤退の逃げ足に使われ、敵を蹴散らす騎馬武者など後世の空想の産物である。


もし霧が晴れた関ヶ原の全体が見渡せたなら、三成も左近も『勝てる』と思ったはずである。


西軍が大鷲(おおわし)の如く翼を広げて待ち構える中にのこのこやって来た東軍はまさに袋の鼠であった。


西軍は宇喜多、毛利、小早川ら、それぞれ一万五千以上の大所帯で取り囲んでいるのに対し、東軍には核となる大軍勢は存在せず、家康の桃配山本陣ですら段構えも作れないほど貧弱であった。


東軍はどの勢力も五、六千の中規模部隊で構成され、最前線で石田隊と向き合う東軍の主力と(おぼ)しき軍勢も黒田長政、細川忠興、加藤嘉明らの混成部隊であった。


これらを個別に撃破、吉川、毛利が家康の後詰めを突けば西軍の勝利は揺ぎ無いかに見えた。


さらに家康が中仙道、伊勢街道のどちらに退路を求めても長束正家、長宗我部盛親が遊撃する手筈でもあった。


大谷吉継が三成に授けた策は、正に完全無欠、鉄壁の布陣であった ・・・・ 



東軍の先鋒で戦闘力も抜きん出ている福島隊を緒戦から圧倒したのは、一万七千の最大動員で西軍の主力を担う宇喜多隊であった。


動員数の差もさることながら、宇喜多の二段構えで隙間無く撃ちかける鉄砲の数の多さに、さすがの福島隊も突入の機会がつかめなかった。


すでに関ヶ原は晴れ上がった霧に代わって黒色火薬の硝煙が中空を覆っていた。


西軍の各部隊は僅か一昼夜の間に自然の地形を利用した手堅い陣を敷いていた。


守りが堅い大垣城から、野戦を得意とする家康に関ヶ原に(おび)き出されたかに見えた西軍であったが、実のところ(おび)き出されたのは家康の方であった。


三成と大谷吉継は初めからここ関ヶ原を決戦場とすべく家康が上杉討伐に出払った後、密かに陣地を構築していた。


家康が野戦では敵無しと過信している裏をかいたのだ。


宇喜多と福島のにらみ合いとは別に、北国街道を挟んだ東側では黒田、細川ら東軍主力の混成部隊が、こちらも西軍の石田、小西隊に押しに押されて東に戻されて行くところだった。


このとき期せずして西軍の中央に隙間が生じた。


「婿殿、今で御座る」


井伊直政と松平忠吉率いる赤い軍勢は、この機を逃さず中央突破を試みて突進した。


側面を突かれることを恐れた宇喜多の鉄砲隊は牽制の弾幕を井伊の赤備えに振り向けなければならなくなった。


正面の弾幕が薄れた。


正則はこの機を逃さなかった。


「鉄砲隊、突撃ー」


先ず鉄砲隊が突っ込み一射浴びせた。


「弓隊続けー」


すかさず弓隊が鉄砲隊の前へ出て山なりに連射しながらどんどん間合いを詰める。


宇喜多の鉄砲隊に上空から矢が降り注ぎ、弾込めが遅れだした。


福島隊の鉄砲隊と弓隊は交互に前進して波状攻撃を仕掛けどんどん間合いを詰めた。


間もなく始まる両軍入り乱れての混戦では連射がきかない鉄砲は敵の獲物になってしまう。


「槍隊、突撃ー」



双方弾込めが間に合った鉄砲隊がもう一射ずつ撃ちかけて後方に下がると福島家自慢の槍隊がそれまで空に向かって担いでいた長槍を前方に据えると、一糸乱れぬ一列横隊でやはり宇喜多の前面に立った槍隊に突っ込んだ。


すでに双方の恐怖と狂気にゆがんだ表情が判るほど接近した。


無音のスローモーションの直後、槍の擦れ合う音、気勢を吐く声、胸といわず腹といわず顔面といわずざくざくずぶずぶ槍の穂先が体にめり込む音があちこちから聞こえた。


負傷して足を引きずって下がる者、飛び出た腸を押さえてのたうつ者、地べたに突っ伏して動かぬ者、たちまち死傷者の山が築かれていった。


これより展開される混戦の阿鼻叫喚の殺戮では頭数の勝負となる。


福島の騎乗した隊長が宇喜多の長槍隊に取り囲まれ四方八方から突きまくられ落馬すると何人もの雑兵が押さえ込んであっという間に兜首を持ち去った。


混戦の中に呑まれた地に足の着かぬ騎馬武者など成す(すべ)も無く長槍に突き()くられるただの肉団子である。


方や宇喜多方の手槍を振り回して雑兵を蹴散らす、さぞや名のある槍の使い手が福島の長槍隊の餌食となってめった刺しにされると福島の陣営に引きずられて消えて行った。


槍の名手も剣の達人も関係ない、雑兵の長槍に囲まれたら死である。



思いのほか西軍優勢に始まった緒戦の関ヶ原を桃配山本陣の家康からは見渡すとが出来なかった。


このとき家康の興味はすでに合戦の勝敗などには無かった。


後々如何に徳川が有利になるような勝ち方をするかの一点であった。

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