その八十二 畜生塚
文禄四年(1595年)八月二日 三条河原
はあともきゃあともつかぬ声が刑場を包み込んだ。
駒姫の華奢な首珠は百合の花を折るより容易くこぼれ落ちた。
二つに分かれた駒姫の遺骸も他の者と同じように穴に放り込まれた。
淡々と次の罪人とされる妻女が引き出されてきたその時。
太閤の馬回り役が騎乗する早馬がどけどけの掛け声と共に刑場に乗り込んできた。
見届け役の三成と玄以を見つけた早馬は二人の前まで駆け込んだ。
「待て」、刑吏に三成が叫んだ。
嫌な予感が三成の背中を冷たく濡らした。
下馬した伝令は三成達の前にかしずくと、「太閤殿下より火急の御命令に御座います。
最上出羽守様の御息女、駒姫様助命せよとのお申しつけに御座います」、と一気に述べた。
三成と玄以は呆然と顔を見合わせた。
それを見た馬周り役は己が間に合わなかったことを察した。
「間に合うはずで御座った ・・・・ 」
その一言で三成は合点した。
・・・・ やはり殿下は駒姫に目をつけておられた ・・・・
「一町ほどの差で間に合わなかった。何かの手違いであろう」
・・・・ 本当に手違いか ・・・・
三成は自問した。
・・・・ 他の罪人達は順序通りに処刑されていたはずであった ・・・・
刑場に居る全員が三成を注視していた。
三成は今更取り返しもつかぬことであるし、要らぬ騒ぎになっても収拾がつかぬと思い、処刑の続行を指示して平静を装った。
僧侶出身の前田玄以は動揺を隠し切れず、今にも念仏を唱え出しそうであった。
「某の責任で処置致すゆえ御心配召さるな」
三成はそう言って玄以を諌めた。
三成も三人の娘を持つ父親である。
駒姫の父、最上義光の落胆は察するに余りあった。
・・・・ これが遺恨とならぬ道理が御座らぬ ・・・・
この日、秀次に連座して処刑された者は、幼児五名と妻女側女三十四名の計三十九名にも及んだ。
太閤の秘密を守ろうとする執念と恩を仇で返された怒りの猛烈さがうかがい知れる。
遺骸をすべて呑み込んだ穴は埋め戻され石碑が一本建てられた。
碑に掘られた文言は"畜生塚"の三文字のみであった。
塚の台座には高野山で切腹し果てた秀次の首がぽつんと晒されていた。
これより僅か五年の後、三成も六条河原で二身と分かれ、ここ三条河原に晒される定めとはこのとき到底思い至らなかったあろう。
三成を晒し首へと誘う者の中に駒姫の父、最上義光が重要な役回処で名を連ねることになろうことも ・・・・