その七十六 珍客
慶長四年(1600年)二月 山形城
「義光殿、ようやく駒姫様の御無念を晴らせますな」
最上義光の本拠地、山形城を珍客が訪れたのは、関ヶ原の半年前のことであった。
「最近ようやく駒姫のことを思い出しても涙が零れずに済むようになり申した」
義光は立ち上がると天守の西側の鎧戸を開け、麓まで雪化粧をした出羽山脈の方を見遣った。
駒姫が幼い頃、毎日一緒に眺めた景色である。
真冬の柔らかな日差しと共に乾いた冷気が客の膝元まで床を這ってきて手の甲を舐めた。
涙が零れぬと言ったのは客を気遣っての嘘であることはすぐにわかった。
壮年を過ぎているにもかかわらず、義光は筋骨隆々逞しく品格と勇猛さを兼ね備えた稀有な武将であると見受けられた。
客はこの御仁の甥子にあたる伊達の当主にも少しは品格が受け継がれていても良さそうなものだと思った。
「我が居城に其の方をお迎えすることになろうとは夢にも思わなかったことでござる」
義光は巨体をゆすって愉快そうに笑い、戸を閉めた。
外から差し込む光が途切れる間際、義光の目じりが光って見えたがそれが悲しみのものか、冷気にあたったためか、笑ったためなのかは判らなくなっていた。
客は義光が心の底から善い人物であると確信した。
・・・・ 必ず調略できる ・・・・
「この豊かな辺境の地で政争に巻き込まれることも無く、日々安穏に暮らしたいと願う我ら田舎大名にとって、太閤殿下亡き後の天下は徳川様が差配なさるのが最も安心で御座います」
客の言葉に義光は頷いた。
奥州出羽はその石高以上に豊かな土地である。
干ばつや風雨の害も西国に比べれば驚くほど少なく病害虫も然程心配ない。
この地の人々は生活の知恵に富み、山の菜を良く食し、害虫であるはずの稲子まで無駄にせず食するのであった。
質素で堅実で連帯感が強くよく助け合う良い領民である。
「出羽を気に入られましたかな、兼続殿」
客は隣国、庄内・会津百二十万石の上杉家家老、直江兼続であった。
上杉との領土争いが絶えぬ最上を兼継が訪れた訳は調略である。
兼続が本多正信と企てる豊臣と徳川の覇権を賭けた大戦での、それぞれの役回処を話し合いに来たのだ。
義光はその手の話の呑み込みが早かった。
自身も調略によって無用な戦を極力避けてきた経歴を持っていた。
たとえ長年の敵であっても降伏や和睦を許し、家や領地の存続もできる限り認めてきた。
最上は寛大であるとの評判が広まり、敵対していた者も安心して最上の戦列に加わるようになった。
そうして最上は領土を拡充してきた。
「義光殿、南側の景色を拝見出来ますかな」、兼続が所望すると義光は南側の大きな鎧戸の閂を抜いて開け放した。
先ほどとは段違いの冷気が二人の全身を包んだ。
一里半ほど先に頂上に城塞を頂いたこんもりとした小山が覗えた。
兼続はその小山を指して、「我が上杉軍が攻め立てるのは、あそこに見える山城が丁度よかろうと存じまする」
義光は怪訝そうに兼続を見て、「あれはこの城の支城の長谷堂城に御座います、城と云うより砦のようなもので御座るがあんなもので宜しいのか」
義光が遠慮がちに聞くと兼続は、「この山形城は義光殿と駒姫様の思いがつまった奥州隋一の美城、戦に塗れるには勿体のうございます。
それに城下には駒姫様の菩提寺が建立されたばかりとお聞きしております。
城下を戦場にするわけにはいきませぬ。囮の砦にはあの城山で充分に御座います」
兼続の言葉に義光は感激して一も二もなく賛同した。
かくして家康の一つ目の囮の砦が成った。
二つ目は、・・・・ すでにご承知のとおりである。