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その七十五 宗虎北上

京極高次の投降を見届けるとすぐさま孝蔵主(こうぞうす)は城塞と目と鼻の先にある立花本陣を訪れた。


すでに大津城の開城と高次の投降を知らされていた立花本陣は戦勝気分で緊張が緩んでいるのが素人目にも明らかだった。


あたり一面焼け野原の殺伐とした戦場(いくさば)には似つかわしくない女人の到来に立花本陣はどよめいた。


あの女が強硬に開城を拒む京極高次を説き伏せ投降させた女傑かと、本陣をのぞきに来る者が引きも切らなかった。


「まるで内府殿でも討ち取ったかの様な浮かれようで御座いまするな」


(ねぎら)いすらない孝蔵主の挑発的な云い様に本陣は凍りついた。


立花の侍頭らしき壮年の武者が言い返した。


「我らは七日間昼夜休まず城攻めをしてきたので御座います、如何に北政所様の名代とはいえ口が過ぎますまいか」


すでに酒が入っているようであった。


北政所が孝蔵主に付けた手練(てだれ)の衛士二人が緊張の面持ちでずいと前に出て牽制した。


騒然とする中、甲冑(かっちゅう)を着直した宗虎が本陣に現れた。


それまでいきり立っていた家臣、家来連中は我を取り戻して陣幕後方に下がって控えた。


「女傑と評判の孝蔵主殿とはそなたか」


宗虎が吠えた。


戦勝のはずなのに苛立っている様であった。


「立花宗虎殿であるな、たった今、そなたの御家来衆が七日七晩城を攻め続けてくたくただと酒臭く息巻いておった。

立花宗虎、

太閤殿下の御家人衆随一の軍団である其の方らはいつからこれしきの平城(ひらじろ)に七日もかかるのろまに成り果てたか。

太閤殿下から聞き及びし立花軍は僅か三千の兵でも二十万の明軍の包囲を突破して籠城する清正を助けたと記憶しておるが、わらわの覚え違いか」


宗虎は苦々しい表情で立ち尽くしていた。


・・・・ 痛いところをずけずけ突いてくるわい ・・・・


宗虎は、「京極の妻女は淀の方の御妹ゆえ御身に類が及ばぬよう加減して城攻め致しておったので手間取ったのだ」、と如何にも苦しい言い訳をした。


孝蔵主は家臣が取り巻いておっては宗虎の本音が引き出せぬと見て。


「宗虎殿、お手前にも面子が御座ろうゆえ人払いを願いたい」、と勧めた。


宗虎は少しほっとして家臣を下がらせた。孝蔵主の衛士も陣幕の入り口に控えた。


陣幕の中は篝火(かがりび)を脇に挟んで宗虎と孝蔵主の二人だけとなった。


東の空はまだ漆黒で夜明けの気配すら無かった。


静まり返った中、孝蔵主が声を潜めて話し出した。


此度(こたび)の大津城の事態収拾に赴くにあたり、北政所様より尾張での昔の出来事を伺って参り申した。

徳川の権勢の前にすっかりちじこまってしまった虎の尾も、それを聞けば再びしゃんとするかと思い宗虎殿にもお聞かせ致すとしましょう。

北政所様が太閤殿下と夫婦(めおと)となる少し前に、尾張の国が今川義元の大軍に蹂躙されようかという事態に直面したそうに御座います。

そのとき今川軍の先鋒として織田領に突出する大高城にやって来たのが松平元康、若き日の内府殿で御座いました。

その、元康殿のところに信長公の調略の使者として太閤殿下の古参、蜂須賀小六殿が遣わされたそうで御座います。

如何に信長公と幼な馴染みとは申しても、とても今川は裏切れぬ元康殿に信長公が持ちかけた調略が御座いました。


"元康は大高城を囲む織田方の二つの砦を攻めるを口実として大高城(ここ)に残られよ"


この調略の成功により今川方で最強の三河軍を排除することが出来た信長公は正面から今川軍と激突して見事義元の首を取ることが出来たそうで御座います。

はて、これと似たような話を何処かでお聞き及びでは御座いませぬか、宗虎殿」


孝蔵主(こうぞうす)にずばり心中を言い当てられた宗虎は、血走った眼で考蔵主を睨み返した。


無礼討ちにしようと思えば出来様。


だからといって女を切ったり打ち据えるような宗虎ではなかった。


「某は内府如きに怖気付いてここに居座ったのでは御座らん」


そう吐き捨てると陣幕を出て、控える家臣たちに大声で命令を下した。


「支度を急げ、大垣城に向けすぐに出立致す」


立花軍はにわかに慌しく行軍の支度に取り掛かったが七日間の大津城攻めで無駄に消耗した為、弾薬の調達に夜通し掛かり出立は翌十五日昼前となっていた。


すでに大垣城からは今日未明にも近江美濃境の関が原に於いて本決戦が始まりそうな気配である旨の早駆けが大坂に向けて何度も通過していた。


・・・・ 悪い夢を見ておったのだ ・・・・


宗虎は徳川に上手く言い(くる)められ"その場"に居合わせないことを選択したことを激しく後悔した。


早駆けの知らせ通りなら、すでに関ヶ原は戦場となり阿鼻叫喚の殺戮の最中であろう。


今となっては、大方の予想を裏切り西軍の奮闘により戦況が膠着し決着が明日に持ち越しとなることをただ祈るのみであった。




私利私欲無く信義に殉じる大谷刑部吉継殿の奮闘と最後も長く人々に語り継がれることとなるであろう。


それに引き代え同じ時代に生きた武将であるのに、たった十数里手前にあるこの立花宗虎を語る者はいったいどれだけ現れようか。


宗虎は関ヶ原を目指して琵琶湖東岸をしずしずと北上するのであった。

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