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その七十四 女傑

慶長五年(1600年)九月一四日


昼夜休まず大津城を包んでいた銃声と砲声がしばし止んだ。


北政所の女官、孝蔵主(こうぞうす)が高野山の木食応其上人もくじきおうごしょうにんを伴って、休戦の静寂のなかを大津城最後の砦となった天守各を訪問したのは九月一四日の夜半のことであった。


城内にも攻め込まれ、本丸だけを残すに及んでも京極高次は頑強に和睦を拒み続けていた。


大局はすでに決しているにも関わらず、攻め手側の毛利も立花も北に向けて一向に進軍しようとはせずに大津にしがみついていた。


大垣城では今にも西軍と東軍の決戦の火蓋が切って落とされるやもしれぬ緊張が続いていることであろう。


・・・・ 時がかかりすぎておる ・・・・


孝蔵主は心中は()いていたが努めて平静を装った。


何発か命中したうちの一発がたまたま天守の屋代骨を打ち砕き三層目から上が傾いていた。


会見は埃が舞う天守の一階の広間で行われた。


高次夫人の初は同席しなかった。


女の出る幕では無い。


沈黙を破る形で孝蔵主が口火を切った。


「京極殿の此度の遣り様には北政所様は大変ご立腹であらせられる。

一度は盟約を結びし治部少輔殿を裏切り内府に鞍替えするは名門の誇りを汚す行いでありましょう。

たとえ東軍が勝とうとも北政所様と内府様が大変に御親密なのはご承知であろう。

如何に御正室が徳川家と縁戚だとて北政所様の御意向を内府殿が無視出来ようか。

内府殿にいくら恩を売ったつもりでも内府殿とて豊臣家の家臣、北政所様が御健在である限り天下を我が物と出来るとお思いか」


北政所様も御味方であると家康に吹き込むまれていた高次は、北政所が治部少輔に肩入れし自分に立腹であると聞いて慌てた。


孝蔵主はなおも、「京極家が今あるは太閤殿下の御温情の賜物であることを高次殿はよもやお忘れであったか」、と問い詰めた。


孝蔵主の怒気に負けじと高次はむきになって答えた。


「某、豊臣家の御為を思い奸臣石田三成を討つべく孤軍大津に決起するに及んだので御座る」


高次の頬はぷるぷる震えだした。


「ほう、石田殿を奸臣とな」


「左様、太閤殿下を欺き淀の方と通じ、己が子である秀頼を豊臣の跡継ぎに据え、豊臣を乗っ取る悪人を奸臣と呼んで何が悪い」


激高した高次はそばに控えた重臣達の静止を振り切って一気に言い切った。


孝蔵主は高次に徳川の調略の一端を云わせた。


「京極殿、そのような話一体誰から吹き込まれたでありますか。長年大坂城の奥を取り仕切ってまいったこの孝蔵主に、そのような戯言(ざれごと)通用するとお思いか。さあ、一体誰から聞いたのじゃ」


高次はさすがに内府から聞いたとは口が裂けても言えなかった。


言えば家康の立場を危うくすることになる。


「さしたる根拠も無く、亡き太閤殿下も北政所様も御信任厚い治部少輔殿を奸臣呼ばわりし、豊臣の跡継ぎである秀頼様を愚弄した上はそれなりの御覚悟は御座ろうな」


簡単に高次は追い詰められた。


女と思って甘く見たのが災いした。


たとえ近江美濃境で東軍が勝利しても自分は助からぬかも知れぬ。


孝蔵主は今度は静かに諭すように高次に言った。


「北政所様は直々に"豊臣の子、三成を守れ"と申された(ゆえ)、私はこうして参ったのだ、京極殿は北政所様も奸臣の仲間とお討ちになると申すのか。

それに、かつて京極殿と同じように盟約を破り滅んだ名家がこの近江にあった事をご存知であろう。

その名家の世継ぎがまだ幼いにも関わらずどのような惨い目に逢わされたかも。

私が色よい返答を持ち帰らなければ、妹御(いもうとご)の竜子殿も即刻"田楽刺し"に処せらると覚悟致すがよい」


これには高次も怖気付いた。


近江出身の高次にとって、"田楽刺し"と聞いただけで恐怖の光景が蘇る。


織田信長に浅井が滅ぼされたとき、長政長男の幼い万福丸は(むご)たらしい田楽刺しに処せられ戦場(いくさば)に晒されたのであった。


浅井に続いて京極も秀吉に敗れ、高次は秀吉の側室に妹の竜子を差し出して一命を助けられていたのであった。


戦火を避けるため洛中に退避させたはずの竜子は今、北政所の手中にあると。


高次の抵抗ももはやここまでであった。


かつて自分のために身を捧げた竜子を惨い目は逢わせられぬ。


「致しかたありませぬ、和睦を受け入れまする。ただし某の仏門入りをもって家中の者達への仕置きはご勘弁くださいますな」


孝蔵主は頷いた。


「では早速、今宵のうちに剃髪して御退去頂けましょうか」


高次は着替える間も与えられず木食応其上人もくじきおうごしょうにんの付き人の僧に剃髪され戦陣衣のまま城外に連れ出された。


城内外を取り囲む毛利方、立花方の兵士達の合間を掻き分ける様に、僅かばかりの供回りと共に久方ぶりに城外に出た高次は七日間の猛攻(・・)に耐えた大津城の天守各を見上げた。


・・・・ おそらくこれで充分であろう、これ以上竜子までは巻き込めぬ ・・・・


大津から高野山までは三〇里の道のりである。


高次一行が高野山に到着したのが九月一八日であった。


家康からの第一の使者が高野山を訪れるのはそれから僅か五日後のことである。




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