序の七 将軍秀忠
「将軍職を引き継ぐのにふさわしいのは評判芳しからざる弟、竹千代より秀頼様にございます ・・・・ 」
そこまで言い放って千姫ははっと息をのんだ。
・・・・いけない・・・・
眼前の父、秀忠の顔が優しい父の顔から、みるみる非情な将軍のそれへと変わっていった。
・・・・ばかなことをしてしまった・・・・
千姫はここに及んでようやく治長の意図を悟った。
・・・・治長殿はこのことを恐れて、己が身を投げうってまで、わたくしに賭けてくださったのではあるまいか・・・・
・・・・わたくしが浅はかだった・・・・
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遡ること十五年前の「 関ヶ原 」において。
まだ八歳の秀頼様を押したてて奉行の石田三成が祖父の大御所に覇権を賭けた戦いを挑んだ。
祖父は密かに豊臣家ゆかりの大名たちにこう吹き込んでいた。
「三成の担ぐ秀頼様は三成が淀の方と通じてもうけた子である、豊臣家を三成めにくれてやってもよいのか」、と。
石田様を知る方なら、このような戯言は根も葉もなき策略と気がついたであろう。
しかし、元々石田様のことを疎ましく思っていた加藤清正、福島正則、そして決定的な戦力で参戦していた小早川秀秋ら本来、豊臣家の家臣、親族の徳川方への加勢により勝敗は決した。
もし、幼い秀頼様に太閤様の御子であるという確証があったなら、命が無かったのは祖父と父のほうであった筈。
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これが「 関ヶ原 」に対する千姫の見立てである。
「 関ヶ原 」は千姫が四歳のときの出来事である。
見事な洞察力である。
さすがは戦国一の才女、お市の方の血をひく姫である。
しかし、ここではそれが禍した。
今度の戦は「 関ヶ原 」とは状況が真逆なのだ。
今は秀頼が正真正銘太閤の子であっては命が危ういのだ。
無理も無い、いかな才女、千姫といってもまだ十九。
どす黒き謀略の世界を垣間見るにはまだうぶすぎる。
大御所家康は、先の二条城の会見で秀頼に並々ならぬ血筋の発露を見て恐怖した。
ひるがえって己が一族に更なる成長を遂げるであろう秀頼に対して人物、財力、人気で対等に渡り合っていける人材が輩出できるのか。
否。
徳川にそのような地力は無い。
所詮、三河の田舎大名が陰謀と戦に長けた家臣団によってあれよあれよと成り上がってきたに過ぎない。
・・・・しかし、筑前の奴は特別だったのだ・・・・
秀忠は自らの失策に気づき泣き崩れる千姫を気にも留めずに傍らの正純に命じた。
「秀頼と淀の方に切腹を申しつけよ」
まさに二代将軍徳川秀忠が真に将軍そのものとなった瞬間であった。