その六十七 信長の娘
「危うきところであった。これで安堵して江戸を出立いたせる」
江戸城にて各地の大名諸侯に多数派工作を仕掛ける家康の元に片桐且元から朝廷工作の成功と秀頼不出馬を知らせる密書が届いた。
最初に家康の元に且元より喫急の密書が届いたのは、上杉討伐に向かう途上の駿府でのことであった。
・・・・ 治部少輔に徳川討伐の勅命を得ようとする動き此れ有り。
捨てておけば勅命が発され、秀頼君が担がれる恐れ大なり。
勅命を止める秘策、我に有り ・・・・
淀の方が織田信長の実の娘であるという極秘情報を且元は家康に漏らした。
秀頼が御敵信長の直系である秘密を利用すれば、徳川討伐の勅命は容易に止められるであろうことも。
そもそも家康は勅命をもって上杉征伐に赴く途上であった。
その勅命を覆す徳川討伐の勅命発令は朝廷にとっても無理を押しての側面があることは否めなかった。
僅かの綻びでも朝廷が躊躇するは必然であった。
実は家康も浅井の長女の出生には以前より疑いを懐いていた。
家康の三男、秀忠の正室には浅井の三女、お江が嫁いでいた。
お江に、姉の京極高次正室が次女にもかかわらずなぜ初と名付けられたか問うても要領を得なかった。
淀の出自を知った家康の頭には、東軍を有利に導く新たな調略の一手が思い浮かんでいた。
それは淀が由緒有る浅井家を滅ぼした張本人の娘であることを利用するものだった。
かつて今川義元の先鋒として大高城に在ったとき信長が家康に示した調略。
・・・・ 元康は織田の二つの砦を攻める大儀名分で今川本隊には戻らず大高城に留まられよ ・・・・
かくして信長は手薄になった義元を正面突破で討ち取った。
今度は家康が囮の砦を用意する番である。