その六十三 三成と北政所
慶長五年(1600年)七月 北政所の京都隠居屋敷
「天下無敵の治部少輔殿も万策尽きたというところでしょうか」
おねねは焦燥しきった三成から所司代での経緯を聞き終えるとそう慰めた。
「屋敷を訪ねて来られたときのそなたは死人の様な顔色でしたよ」
勅命を得られず、秀頼を総大将に担ぐこともままならず、淀と通じて豊臣を私物化する奸臣との汚名まで着せられ四面楚歌の三成は北政所に最後の望みを託した。
とても一人の胸には納めきれない豊臣家の秘密を北政所に打ち明けた三成はいくらか生気を取り戻していた。
「太閤殿下の出生の秘密を聞かされても、北政所様が大して驚かれないことが不思議にございました」
おねねは夫の秀吉の出自について既に推察を重ねそれは概ね正鵠を得るものであった。
「桶狭間や本能寺にまで秀吉が噛んでいたなどとは思いも至りませんでしたよ。
信長様の無念の最後やお市様のその後を思うと、お陰で成り上った豊臣にある者として申し訳ない気持ちでいっぱいになります」
おねねは豊臣の栄華の影に織田の無念があることを慮った。
「佐吉、そなたの申す通り秀頼は織田家と天皇家の奇跡の結び目と云えましょう。
御屋形様からお預かりした天下を淀の方と秀頼が継がれてゆくのは私にとっても本望。
しかしまあ秀頼は、なんとも信じられませぬ、まっこと秀吉の子でありましたか ・・・・」
おねねは淀と秀頼を疑ってきたことを心から後悔した。
「すべて太閤殿下が秘密裏に仕組んだことに御座いますれば北政所様には何の落ち度も御座いませぬ」
三成はこれで淀と北政所のわだかまりが解けると安堵した。
秀頼君の後ろ盾として太閤殿下の御正室である北政所が、再び西の丸にでんと座していただけるなら、二度と内府の好き勝手にはさせない自信があった。
「佐吉、そなたも気付いておるであろう。家康殿の真の狙いはそなたであるぞ」
おねねは三成に、内府がすでにおねねにも調略を仕掛けてきたことを伝えた。
「秀頼がそなたと淀の子などという戯言など、そなたを知る者なら取り合わぬであろう。
しかし徳川の権勢に靡きたがってうずうずしている者達にとっては、渡りに船の大義名分となりましょう。
たとえそなたが秀頼を担ぎ出したとしても「それ見たことか、豊臣を乗っ取る気だ」、と騒ぎ立てるつもりでしょう」
冷静さを取り戻した三成には内府の謀略に対抗する手立てが見えてきていた。
「かくなる上は刑部の練り上げた戦略を信じて徳川を正面から迎え撃つしか御座いません。
そこで北政所様にいくつかお願いしたきことが御座います」
非情に徹する覚悟を決めた三成の反撃が始まろうとしていた。