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その六十 それぞれの誤算

三成は愕然とした。


秀頼が後陽成(ごようぜい)天皇と同じ、正親町(おうぎまち)天皇を祖父に持つ血筋であることを頼りに、朝廷から徳川討伐の勅命を得る算段であった。


正親町天皇の代より朝廷の武家伝奏役を務める、勧修寺晴豊(かんじゅじはるとよ)は京都所司代に於いて三成にこう申し渡した。


「本能寺の経緯(いきさつ)まで知り得た其の方であれば、淀の方の出自についても亡き太閤より聞き及んでいたことであろう。

秀頼が御敵信長の姪の子ならともかく、直系であっては如何に太閤が先帝の御落胤だとてこれ以上朝廷は豊臣への肩入れは出来申さん。

第一、秀頼が太閤の嫡子かどうかも怪しいではござらぬか。

秀頼も猿顔の六つ指だとでもいうのなら信じられようが、母方に似てすらりとした大そうな美少年というではないか。

織田の血筋は美男美女の家系として名高きことはあまりにも有名」


三成はお茶々の出生については認めつつも、秀頼が太閤殿下の嫡子に相違ないことを重ねて訴えた。


「太閤殿下は某に秀頼様は間違いなく我が子であると申されておりました。

なかなか子が授からぬ御自身にようやく子が授かったは、同じ身の上を持つ淀の方とならではの奇遇に()る処でございます。

治長と淀の方との密通についても太閤殿下は承知の上でそれを許し、治長を当て馬に御自分の嫡子を得る最後の機会に賭けていたので御座います。

朝廷が織田家を許せない経緯(いきさつ)は某も重々承知しておりまする。

しかしながら天皇家と織田家の狭間で苦悩の選択をされた太閤殿下にとって、過去の遺恨を乗り超えてこの世に生まれし秀頼君は、

かつては敵同士と争い合った天皇家と織田家のあまりに純粋な結び目にございます。

これを奇跡の血統とは思われませぬか、晴豊殿」


晴豊は誠仁(さねひと)親王の(きさき)晴子の父親であり後陽成天皇の祖父でもある。


ある意味、後陽成天皇より天皇家の血統が濃いともいえる秀頼は晴豊にとっての脅威でもあった。


それに、 ・・・・ 散々面倒を見てきた関白秀次を切腹に追いやり、その妻女子息らを三条河原の露と消し去った三成に対して晴豊は腹に一念があった。


晴豊は食い下がる三成を突き放すようにこう諌めた。


「治部殿、此度の朝議に於いては逆に徳川に対して豊臣討伐の勅命を発すべしとの意見も出されておったのだぞ。

幾らなんでもそこまではと、天子様の御意向を汲んで退けられ申したが、豊臣討伐の勅命が出なかっただけでも合点されておくのが宜しかろう」


三成は落胆のあまり床に片手を突いてもたれかかった。


「治部殿、徳川は治長どころか其の方こそ秀頼の父親と吹聴して回っておるとのことである。

長き付き合いの友人として申す。

この勝負、どう見てもそなたに分はござらぬ。

如何なる不利益を(こうむ)っても、ここは引かれるのが得策でなかろうか」


三成はそう言って諌める晴豊に謝辞を述べるのもそこそこに失意の内に所司代を後にした。


最後に望みを託すべく、向かうは同じ洛中にある北政所(おふくろさま)の隠居屋敷であった。


道中青ざめた顔で三成は此度の失策の理由に思いを巡らせた。


「いったい何者が淀の方の出生の秘密を知り、朝廷に密告したのであろうか」


残念ながら三成には全く心当たりは無かった。


たとえあったとしても今更朝廷の決定を覆すのは不可能であろう。



一方、全て順風満帆に見えた徳川にも一つの凶報がもたらされていた。


すでに味方に取り込んで上杉討伐軍への合流を期待していた大谷刑部少吉継が大坂方に寝返ったとの報がもたらされた。


大谷軍そのものは四、五千であったが家康が恐れたのは吉継の作戦立案能力である。


しかも三成には当時最高の実力を誇る猛将、島左近があった。


絶対にこの二人は組ませてはならないと警戒していた最強の組み合わせが敵方に出現した事にさすがの家康も狼狽を隠せなかった。


家康はすぐさまの西行きを取りやめ、江戸に残り更なる多数派工作を余儀なくされた。



・・・・ 今度の戦は表向き徳川が天下欲しさに仕掛けたと皆に悟られてはならない ・・・・



あくまで奸臣石田治部少輔三成を豊臣家から排除すべし、としておかなくてはならい。


年齢という内なる敵とも戦わざるをえない家康にとっては勝負の時であった。



「正信、其の方は秀忠と共に徳川本体七万を率いて中仙道を参れ」



そのあまりの突飛な行軍に真意を測りかねる正信に家康は付け加えた。



「上田の真田を餌に秀忠に道草を食わせて上方にはわざと(・・・)遅れて参れ」



それは正信でさえ考え及ばぬ背水の策であった。



「その方が徳川に味方するか否かで躊躇している輩が、より恩を着せやすくなる。

いよいよ相当な恩賞が期待できるぞとな。

そしてこの家康こそが己が危険も顧みず奸臣三成を成敗しようとする本当の豊臣の忠臣であると。

欲は人の判断を大きく歪めるものである」


正信は自分のような策謀の士がすでに必要ではないのではと思うほど、家康本人が人心を操る偉大な天下人に近づいたと確信した。


しかしこれより先、正信を傍から手離した事は後々家康と徳川にとって取り返しのつかない損失をももたらすことになるのである。

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