序の六 千姫の賭け
「よくぞ無事にもどられた」
大坂城落城の翌日、僅かの共を連れた千姫が将軍の本陣に無事辿り付いた。
父秀忠と千姫にとって実に十一年ぶりの親子の再会であった。
久々に見る千姫は父の目にも一段と美しく成長して見えた。
「お父上、秀頼様のこと ・・・・ 」
久し振りの父との再会を喜ぶ素振りも無く千姫が切り出した。
「治長からの助命嘆願は正純より聞き及んでおる、そなたは何も案ずることは無い。
まずは体を清めて休まれよ、積もる話はそれからじゃ」
焼け落ちる大坂城から命からがら脱出してきた千姫は煤だらけであった。
秀忠は大御所家康から豊臣家と秀頼の処遇一切を一任されていた。
千姫無事救出の上は二度と徳川に歯向かぬほどに疲弊した、豊臣の家名だけは残してやることも許されよう。
治長の申し出を呑んでやろうとも思っていた。
淀の方は秀忠の妻お江の姉であり、秀頼は義理の甥でもある。
従兄妹同士の秀頼と千姫に子が授かれば、それは徳川と豊臣の太い架け橋ともなろう。
そもそも、そういう思惑での千姫の輿入れであった。
ただし、譲れぬ条件がある。
「千よ、一つだけ父の問いに答えてはくれまいか」
秀忠は千姫が幼い日に見覚えたのと同じ優しい顔で千姫に問いかけた。
「幼くして嫁いだとはいえ秀頼様のおそばに十二年寄り添うたそなたに聞く。
千は秀頼様を、まっこと太閤殿下のお子と思うておるか」
・・・・きたっ!・・・・
千姫は心の中で身構えた。
徳川方にたどり着けば必ず問われるだろうと覚悟はしていた。
まさか父、その人から問われようとは。
少しの間をおいて千姫はきっぱり答えた。
「秀頼様はまごうことなき豊臣のお世継ぎにございます。
太閤様は千がこの世に生まれる前にすでにお亡くなりでございます。
面影を辿ることはわたくしにはかないませぬ。
されど秀頼様の立ち居振る舞い、すべての者への細やかなお心配り。
淀の母上様ほか豊臣家の御家中の方々の御信望の厚さは、
秀頼様の見事な偉丈夫さと相まってまさに天下人の風格。
とうてい余人の立ち入れるものではございません」
千姫の言葉を聞いた秀忠の顔がわずかに曇った。
同席していた本多正純はじめ武将たちの不吉な雰囲気を察した千姫は更に力強く言い放った。
「将軍職を継ぐのにふさわしいのは評判芳しからざる弟、竹千代より秀頼様にございます ・・・・ 」