その五十九 淀と三成
慶長五年(1600年)七月 大坂城
「秀頼君さえ総大将として御出馬いただければ、某必ず内府に勝ってみせまする」
三成は幼い秀頼が如何なる大軍勢より勝敗の行方を支配し得る存在であるかを淀の方に説いた。
「石田殿の申されること、女のわたくしとて充分にわかります、しかしながら徳川討伐の勅命を賜わることが出来なければ、まだ幼い秀頼を出陣せせる訳にはまいりませぬ」
同じ近江出身の三成には淀が幼い秀頼を戦の矢面に立たせることに躊躇する気持ちは痛いほど良くわかった。
戦に負けた者はたとえどんなに幼かろうと過酷な運命を背負わされる定めを誰よりも良く知る淀であった。
淀は立ち上がって三成の側に降りて傍らに座した。
「石田殿は太閤殿下から直に御遺言を授かっておいでだったのでありましょう」
淀の表情には羨望と寂しさが見て取れた。
「なに、引継ぎようなものに御座いますれば」
・・・・ そうではあるまい ・・・・
「殿下はわたくしの出生について何か言い残してはおりませんでしたでしょうか」
この頃淀は、自分の生まれに疑問を持ち始めていたようである。
三成は淀に何もかも打ち明けてやりたいという衝動をなんとか抑えた。
「宿敵、内府を葬むりし暁にはきっといろいろとお話できるときが参るでありましょう」
淀は娘のような眼差しで三成を見て、「きっとですよ、佐吉様。そのときにはきっとお話下さいませ」
・・・・ もし、それが叶うのなら ・・・・ と三成も思った。
「それはそれはとてもとても長い、途方もなく長き物語で御座います。
全てを語るには幾日かかるやも知れませぬ。またどのような悪い評判が立つか判りませぬぞ」
すでにその頃、秀頼が三成が淀と通じて出来た子だという噂が徳川方によって流布されていた。
「徳川を滅ぼした佐吉様に誰が物申せましょうか」
三成は淀が自分を久しぶりに佐吉と呼んだことがうれしかった。
「お茶々様、この三成きっと内府に勝ってこの大坂城に凱旋して参りまする」
お茶々との叶わぬ約束を胸に大坂城を後にした三成は、遅々として進まぬ伏見城攻略に蹴りをつけるべく東に向かうのであった。