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その五十四 家康の調略

慶長四年(1599年)十月 大阪城西の丸


且元(かつもと)殿、秀頼(ぎみ)と豊臣家の行く末をお任せできるのは、其の方をおいて他にはおらぬとわしは思うておりますぞ」


家康は賎ヶ岳七本槍しずがたけしちほんやりの一人で太閤より秀頼の養育係を任されている片桐且元をそう言って持ち上げた。


「そなたは華やかな奉行職を治部少輔やそのほかの者に奪われ、己だけが貧乏くじを引いたと不満に思うておるやも知れぬがそれは違うぞ。

太閤殿下は其の方の厚い忠義の心を信じて、秀頼君の守役をお任せになられたのだ」


家康の言葉に且元は感激した。


家康は続けた。


「且元殿、わしとそう年の(たが)わぬ利家殿も身罷(みまか)われてしもうた。

太閤殿下より秀頼君の後見を任されておるわしとて、もうこの先何年生きておられるかわからぬ。

幼い秀頼君と豊臣家の今後を思うとわしは死んでも死に切れぬ」


「内府殿、そのような弱気になられては困り申す、ご幼少の秀頼君にとっては内府殿だけが頼りにございます」


且元はつい家康に隙を見せた。



「ときに且元殿、このようなこと其の方にしか聞けぬ事ゆえお答えいただけぬか」


なんなりと、と且元は答えた。


「実は秀頼君の御出生に関わる良くない噂を耳に致しておる」


且元は内心どきりとした。


「噂によると、秀頼君は実は太閤殿下の御種では無いのではとの事だが、まさかそのようなことはあるまいの」


けっして、と且元は答えて黙った。


「その噂によると、太閤殿下の目を盗んで淀の方と通じておったのは大野治長(はるなが)ではないか、とのことであったが、治長は其の方と同じ近江の出身であったはず。

淀の方も近江の浅井家のご出身、しかも治長殿とは乳兄妹であるとの事ではないか。

もし、本当なら太閤殿下より豊臣家の今後を託されたわしとしては捨てておけぬことであるが如何に」


且元は、けっしてそのようなことはございませぬと申し開いた。


雰囲気が変わり、いつしか家康による詰問の様相を呈してきた。


家康は急に穏やかな口調で。


「なに、且元殿、其の方が恐縮いたすことではあるまい。

ただ、大野治長は治部少輔や前田利長らと謀ってわしを亡き者にしようとしたかどで、今は捕われの身である。

そのような者がたとえ噂であっても秀頼君の父親かも知れぬなどということはけっしてあってはならぬことであろう」


且元は恐縮して身を小さくしていた。


その様子から家康はすべてを理解した。


「片桐且元。たとえ秀頼君が太閤殿下の御子で在ろうと無かろうと、豊臣家にとって無くてはならぬ唯一人の跡取りである。

太閤殿下より豊臣家の行く末を任されたわしであれば、目を(つむ)るところは(つむ)る覚悟である。

豊臣の行く末を案じるのであれば、今後は我が命を主の命として心して聞く事である」


且元は家康にひれ伏した。


「なに、それがそなたのいっそうの立身出世にもなることじゃで何も案ずるでないぞ」




家康は且元を残し、勝ち誇った足取りで接見の間を後にした。

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