その五十三 三成の調略
「刑部、早く茶をよこさぬか。のどが渇いて我慢できぬではないか」
言うが早いか三成は、大谷吉継が手にする茶碗をむしり取り、ごくごくと残らず飲み干してしまった。
この日は朝鮮出兵から戻った武将らを太閤が大阪城に招き、慰労の茶会がとり行われていた。
三成は思うところあって大谷吉継の隣に座していた。
そこは三成が着座するまで空席であった。
三成と吉継は共に小姓の頃から秀吉に仕えていた同士であった。
九州征伐の折には共に兵站奉行を担ったこともある。
共に仕事をこなすうちに三成は吉継の明晰さに関心した。
賎ヶ岳では敵将柴田勝家の子の長浜城主、柴田勝豊を説得して寝返らせた。
朝鮮出兵では明との和平交渉をまとめるなど、奉行として算術に長けているにとどまらず、交渉事や人心掌握術にも並はずれた能力を発揮したことを三成は見逃さなかった。
・・・・ これからの豊臣家に絶対必要な男である ・・・・
三成は吉継と信頼と厚い友情の絆を結びたいと願っていた。
機会は突然訪れた。
茶をすすった吉継は迂闊にもくしゃみをしてしまった。
唾が飛沫となって盛大に飛び散った。
誰の目にも茶碗に飛沫が入ったに見えた。
茶道の作法では何事に動揺を見せてはならない。
何事も無かったように茶碗を回すのが茶道である。
普通であれば。
吉継はらい病を患っていた。
当時の人々にとって、らい病は移りやすい不治の病であった。
日ごろから吉継が口をつけた茶碗が回ってきても飲んだ振りをするものも多かった。
普段は決してうろたえたことなど無い吉継も自分の失態に呆然とした。
そのとき隣席の三成が叫ぶ様に何か言って、手から茶碗を奪い飲み干した。
三成の機転で吉継はかろうじて面目を保った。
茶会が終わっても三成は吉継とは言葉を交わすことなく、何事も無かったかのように帰っていった。
居城に戻った吉継は、 泣きに泣いた。
自分の不運や他人の冷たい仕打ちに泣いたのではでない。
石田治部少輔三成の男に泣いた。
・・・・ 我が短き命、貴様にならいつでもくれてやろうぞ ・・・・
このことは大谷刑部吉継を慕う家臣、家来、男女を問わず家中の者全員の心に浸みた。