その五十一 秀頼登場
慶長十六年(1611年) 二条城
「では清正、参ろうか」
秀頼は自ら先頭となり家康の待つ謁見の間へ続く長い廊下を進んだ。
ゆっくり大股で歩いて行く秀頼に付いて行くのに、小柄な清正は茶坊主のように小走りとならなくてはならなかった。
清正の目の前を行く秀頼は、大きく、堂々として、立派であった。
清正はこれまでの経緯を思うと今日の日を迎えられたことは涙が浮かぶほど感慨深く、前を行く秀頼の背中がぼやけてしまうのだった。
「嗚呼、あの関ヶ原のとき徳川に味方し、西軍敗北に荷担した己の過ちが悔やまれる」
袂を分かったとはいえ、幼馴染の冶部少輔を不忠の不義密通者と疑った己が愚かであった。
少しでも考えが及べば、あの融通の利かぬ"へいくわぃもの"が如何にお茶々様に恋心を抱きていても、太閤殿下に不忠を為すなど在ろうはずが無いことを。
清正は眼前を行く秀頼の威風堂々とした偉丈夫さに、姿形は全く似ぬども天下人、豊臣秀吉の影を色濃く感じていた。
会見の場である謁見の間では当然という顔で"上座"に家康が陣取っていた。
先制攻撃で若く未熟な秀頼を腰砕けとしようという思惑であった。
秀頼はそんなことは意に介さず一段低い下座に颯爽と座した。
家康の思惑は最初から当てが外れた。
誰がどう見ても下段に座した秀頼の方が上座で横柄に肘掛にもたれる家康より大きく見えた。
秀頼が登場したとたん、"時の権力者"家康が急にみすぼらしい″ただの老人″に見えた。
居合わせた全員がそう思った。
それこそが清正の思惑であった。
・・・・ 如何な老獪徳川殿とて、このような威丈夫に御成長あそばした秀頼様を眼前とすれば、その御威光にただただひれ伏すであろうと ・・・・
秀頼は平伏して家康に臣下の礼を尽くした。
元は徳川の方が豊臣の家来筋である。
秀頼にはそのようなことどうでも良いことであった。
幼い頃より広大な大坂城からほとんど一歩も出ることなく、従兄妹で幼馴染の美しい千姫と裕福に幸せに暮らす秀頼には今の暮らしに何ら不満など無かった。
目の前の家康老人は千姫の祖父である。
皆が言うような敵という言葉も秀頼には空虚な響きとしか届かなかった。
「今日は大御所様に我が大叔父、織田信長公の若き日の武勇伝など伺いたく参上致しました」
屈託無く好意を示す孫娘の婿を前に、家康は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
己の陰謀の影に志半ばで果てた、織田信長の眼差しに射すくめられている心地がしたのだ ・・・・