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序の五 父秀忠

「千姫の無事帰還が叶うなら豊臣家の安堵とて許そうぞ」


千姫奪還の命を、徳川軍の全部隊に出してより、すでに丸一昼夜がたとうとしていた。


炎上の後、無残に崩れ落ちた天守閣の方角を見やりながら将軍秀忠は、すでに掌中に収めた戦勝の喜びより千姫の消息に心をとらわれていた。


千姫は家康の三男秀忠と、お市の方の三女お(ごう)との間に生まれた最初の子であった。


祖父の家康からも父の秀忠からも大変な可愛がられようで育った。


わずか七歳の幼さで十一歳の秀頼の正室として嫁ぎしより十一年、秀忠は一日として千姫の平安を願わぬ日は無かった。


秀忠自身は父、家康から可愛がられたり優しくされたことなど一度たりとも無かった。


戦働(いくさばたらき)きに向かぬ自分を父、家康が疎んじていたことは己だけでなく近習の家臣たちにも公然のことであった。


ゆえに我が子には並々ならぬ愛情を注いで育ててきた。


秀忠は家庭や平時に於いては、よき父親であり、よき統治者であった。


十五年前の「 関ヶ原 」は秀忠にとって初陣であった。


しかし途中の上田城攻略に手間取り「 関ヶ原 」の戦勝(・・)に間に合わなかった。


そのとき父・家康は家臣たちの面前にも関わらず秀忠を手酷く叱責したのだった。


あのとき秀忠は廃嫡をも覚悟した。


後から何度思い返しても、その度に身が縮むような心持になった。


それが禍して、此度の大坂攻めに於いても、またまた大失態を晒してしまうこととなった。


荷馬も軍馬も(かち)すらも、全て置き去りにして僅かばかりの手勢で清洲まで駆けつけたことを、

それが将軍の行軍かとまたしても大御所から手酷い叱責を食らうという恥の上塗を演じてしまった。


秀忠は何としてもこの城攻めで天下に将軍秀忠を示さねばならなっかたのだ。


しかしてとうとう戦には勝った。


あとは千姫の無事だけが父秀忠の願いであった。

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