その四十七 ぼんくら
「冶部少輔、万事正論でしか物事を考えぬ其の方にも、天子様の御威光というものが侮るべからざるものである事、よう分かったであろう。
この国の形が今後どのよに変わろうとも、天皇家は途切れることなく続くであろう」
「 ・・・・ 」
「それが、武家と天皇家の大きな違いじゃ」
三成は思い出した、古来天下を牛耳ってきた武家の末路を。
清盛公、頼朝公、尊氏公、信長公 ・・・・ みな一代限りのようなものである。
どんな天才的な権謀家もその才覚は三代とは続かぬ。
信長公にしても後継者に目ぼしき才を持った者は一人もいなかった。
憎っくき家康も跡目は揃いも揃って盆暗揃いである。
「殿下、"我慢のしどころ"の意味がようやく分かり申した」
「ふふふ、佐吉にしては、ぼんくらだったの。
徳川殿が如何に権謀に長けていようと、まだ五歳の秀頼とどちらが長く生きられよう。
待つのだ。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、ひたすら待つのだ。
徳川が痺れを切らして兆発してきてもけっして乗ってはならぬ。
お役御免だろうが謹慎だろうが蟄居だろうが隠居だろうが、たとえ隠岐に流罪となろうとも、
そなただけは何としてでも生き延びなければならぬ。
家康殿が息絶え、秀頼さえ存命であれば豊臣はどんなに没落していようと盛り返せる。
そのとき豊臣に断固必要な男が其の方、石田三成である」
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三成は二年の時を待たずして、太閤のこの戒めを破ることになる。
それについては、この物語の佳境で語られる。
しかし、三成はその首が飛ぶその瞬間まで太閤の言い付けを守り通したこともここで付け加えておこう ・・・・