その四十五 辞世
「なんと筑前殿が、天子様の御落胤であったとは ・・・・ 」
ことここに至り、光秀はようやく自分が天子様に捨て駒とされたことを悟った。
しかしながら、天子様に対して怒りの気持ちは少しも湧いてこなかった。
そも天子様とはそう云う存在であることを光秀は承知していた。
「いざ、皇統を守らんとした時の天子様のお力、畏怖すべし」
光秀は、今や御高齢となっている正親町天皇がまだ皇子の頃、若くしてお亡くなりになった妹皇女がいたことを思い出した。
確か十六〜七の若さでお亡くなりになっていたはずである。
筑前殿のあやふやな生年と重なる。
これまでも、織田家中で出世を競ってきた同士の秀吉には、生まれながらの才覚を感じていた。
もしかすると、自分と同じような由緒ある血筋の末裔ではないのか、と疑ったこともある。
まして、皆の云う貧しい農民出であるなどということは、到底有り得まいと思っていた。
出会う者全てを魅了する人たらしの技。
幼少の頃より授けられたとしか思えぬ知識と教養。
どの様な熟達の僧侶も及ばない達筆の筆。
高度な土木建築技術に長けた取り巻き連中。
熟練の騎馬武者さながらの乗馬技術。
そしてあの右手 ・・・・
光秀の頭の中には織田家が躍進するとき、秀吉が重要な役割を果たしてきたであろうことが思い浮かんだ。
今川軍の塗り輿の正体。
信長公の上洛と秀吉の所司代就任。
朝廷の織田家への格別の肩入れ。
近衛前久のもたらした、詳細な"天下布武"の情報源。
そして何より、秀吉自身では御屋形様を討つなどということは到底叶わぬ信長との固い結びつき。
「天子様は、はじめから自分を主君殺しの謀反人に仕立て、その上で筑前殿に敵討ちの大儀名分を以って天下を治めさせる御積りだったのであろう」
・・・・ それが天子様の御心であるなら、 是非もない ・・・・
光秀は一切の言い訳をせず天子様の御意思に従うことを覚悟した。
ただし己の命運を賭けて最後の決戦には全力で臨む所存であった。
勝負は時の運である。
光秀辞世の句は、
『心しらぬ人は何とでも言はばいい、身をも惜まず名をも惜しまず』、であった。