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その四十三 焦燥

天正十年(1582年)六月五日


「前久殿はどこにおられるのか」


光秀は焦りに焦っていた。


このままではまことの謀反人として歴史の闇に葬り去られてしまう。


お約束の"征夷大将軍"をいただかなくては京、摂津界隈の小名達の賛同が得られぬ。


京、摂津界隈には有力な大名は存在しなかった。


光秀自身が管轄する織田家の直轄領であったためだ。


しかし摂津周辺には小勢力ながら南北朝の頃より勢力を保つ豪族上がりの摂津衆が今も小名としていくつもあった。


遠方の大名達が状況を確かめて腰を持ち上げるのには月単位の準備期間を要する。


その前に身軽な彼らを見方につけて摂津、堺、洛中と近江を押さえてしまえば明智幕府を開ける。


電光石火の多数派工作が命運を決するのだ。


しかしながら明智に対する″お墨付き″が出なければ、いくら信長を討ったとはいえ只の謀反人である。


それでは賛同者は得られない。


何と言っても相手は南北朝の頃から、このややこしい界隈を生き延びてきた海千山千どもである。


ぽっと出の織田や徳川などと違い一筋縄では靡かぬ連中である。


何より朝廷の″御威光″が頼りとなる。


それがいつまで待っても出ない。


「近衛前久様は本能寺のその日に出家いたしました」


信長成敗に連日連夜祝杯を上げる朝廷に何度問いかけても、答えはいつも判で押したように同じであった。


前久は雲隠れしたのだ。


あれほど親しくしていた自分を渦中に投げ込んでおきながら ・・・・

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