序の四 治長の忠節
大坂城の天守はあの頃と同じように堂々としてそこにあった。
ただ、今まさに焼け落ちようと紅蓮の炎に包まれながら。
ときは慶長二十年(1615年)、大坂夏の陣の大坂城内である。
「 ・・・・ 千姫様に大御所の説得などできるのであろうか」
治長は半ば諦めの心中で舞い散る火の粉の中を千姫とわずかな供の者たちを見送った。
もう天守は焼け落ちる寸前である。
みなが期待するような、大御所家康が『孫娘哀れ』と思うてくれるかどうかなど詮なきこと。
大御所の関心は秀頼様がまこと太閤殿下の御嫡子か否かの一点に尽きよう。
もし某のことを今だ不忠の不義密通者と思いこんでおれば、あるいは秀頼様御存命の目も出てこよう。
それゆえ千姫様に託した助命嘆願である。
〜〜〜 此度の騒乱、ひとえにこの大野治長一人の所業によるもの。
よって我が身の切腹と引き換えに、淀の方ならびに秀頼様のお命の御安泰を願い奉りまする 〜〜〜
しかし、大御所が秀頼様の父親が太閤殿下その人と見抜いておれば、残念ながら秀頼様に明日のお命はなかろう ・・・・
先の二条城での会見は迂闊であった。
「見事な偉丈夫に御成長あそばした秀頼様を目のあたりとすれば、あの老獪家康とてその御威光にただただひれ伏すでありましょう」
そのように申す清正の言葉を鵜呑みにしてしまったが、所詮は武辺者の浅知恵であった。
秀頼様に並々ならぬ御血筋を見て取った大御所は、自身の命のともし火が尽きる前に何が何でも豊臣家滅亡を企ててくるであろうことを。
その清正も、まさか家康より先に寿命が尽きてしまおうとは。
ああ、清正もろとも徳川に加勢したあの「 関ヶ原 」こそが今となっては悔恨の極み。
この上はいかなる不名誉をこの身に浴びようとも、某の命に代えて秀頼様をお守りいたさねば。
それが一度は命を賭けて愛したお茶々への治長の今も変らぬ忠節であった。
このとき秀頼二十三歳、千姫十九歳。
乳兄弟として幼き日々を共に過ごした治長と淀の方は、ともに四十七歳であった ・・・・