その三十九 本能寺炎上
天正十年(1582年)六月二日 白々あけし頃の本能寺
・・・・ 信忠、摂津へ急ぐのだ ・・・・
信長は最後の時を前に自分亡き後の織田を思った。
安土へ戻るのは得策ではない、あの城では光秀を相手に戦えぬ。
摂津へ逃れ、堺の家康を頼み、信孝、長秀の四国遠征軍と合流するのだ。
信長はついこの間まで殺そうとしていた家康にもすがっていた。
そして筑前の三万を呼び戻すのだ、奴は五日で反転できる。
筑前なら摂津も味方致す。
信長はこの期に及んでも、秀吉が自分を裏切ったとは露ほども疑っていなかった。
織田の今後を托せるのは、地獄の果てまで同道すると誓いし、筑前だけであると信じていた。
信長は刀身を己が首筋に当ていつ何時でも自刃できる姿勢をとっていた。
信長の籠る納戸にも煙が濃く漂い始めていた。
信長は飛び起きる直前に見た夢を思い出した。
程なく本能寺は炎上して洛中の未明を赤々と照らすであろう。
義元を謀った砦のように。
坊主どもを焼き殺した叡山のように。
お市の夫、長政を自刃に追い込んだ小谷城のように。
自分には相応しい最後であろう。
信長は自分の倅達に己の特徴が余り受継がれていないことが残念でならなかった。
武家がその思想ごと血筋を残すとは何と困難なことだと痛感していた。
織田家だけではない、どこの所帯も同じようなものである。
信玄亡き後の武田は勝頼があっても滅んだ。
今川も義元の首一つ失せただけで自壊した。
徳川とて家康が失せればあとは盆暗ばかりだ。
織田にも徳川にも光秀や筑前のような特別を産み出す地力は無い ・・・・
この一点に於いて、信長でさえ天皇家を羨望せざるを得なかった。
「なるほど、間違えたは己であったか、 是非も無し」
頃合である。
信長は柄を膝の内側で固め背筋を伸ばすと渾身で己が首筋を刀身に擦り付けた。
肩から腹にかけて温かいものが伝わるのを感じた。
遠ざかる意識の中に最後に浮かんだのは、娘のお茶々の愛らしい姿であった ・・・・