その三十七 潜入
天正十年(1582年)六月二日未明 本能寺
本能寺の襲撃は最初静かに始まった。
この襲撃を任されたのは明智家筆頭家老、斉藤利三であった。
利三はいきなり騒動になって、信長に秘密の隠れ場所にでも入られてしまうと厄介だと考えた。
先ず刺客として潜入したのは、手練の数十人である。
その中に、後年この惨劇を書き記す本城惣右衛門も手練の傭兵としてあった。
惣右衛門達は先ず南の門番の一人を労せず倒して首を取った。
門は簡単に開き広い境内に入ると、まるで無人のように静まり返っていた。
惣右衛門が門番の首を手にぶら下げたまま、様子を探っていると、北から別の隊がやってきて首など捨ててしまえと諌められた。
惣右衛門は本堂の軒下に首を投げ込むと、首はごろごろと奥に転がって見えなくなった。
次に正面から本堂に忍び込むとがらんとして無人であった。
誰かが寝ていた形跡を見つける。
台所に隠れていた女中を見つけると、女は「上様は白い寝衣をまとっている」と白状した。
惣右衛門はこのとき女が言った″上様″が、誰のことなのか判らなかった。
惣右衛門は誰を殺せばいいのか教えられずに刺客をさせられていたのである。
「たぶん三河の徳川様だろう ・・・・ 」そう思っていた。
それほど隊内にも極秘で信長襲撃は実行されていたのである。
惣右衛門は異変に気づいて、寝衣のまま抜き身を持ってやってくる侍を物陰に隠れてやり過ごし、背後から切りつけて殺した。
ふたつ目の首である。
やがて境内や堂内のあちらこちらで小競り合いが始まり、だんだん騒然としてきた。
利三は頃合と見て取ると、今度は大規模な兵員を敷地内になだれ込ませた。
「狙うは、御敵、織田信長也、かかれーっ」
ここに至り、信長の警護方も皆出揃って境内は大混乱となった。
しかし、明智軍の囲いは幾重にも固く何人たりとも出入りは不可能であった。
女は殺してはならぬという光秀の厳命に従い、次々と逃げ出す女どもは一箇所に集められた。
ただし男が女に化けて逃げ出すことがあるので、確認のため股座を握られた女どもが次々と悲鳴を上げた。
寺の内外はいよいよ混乱を極めた。
襲撃に当たって光秀は、厳に火を出さぬよう戒めていた。
出火の混乱に紛れて信長を取り逃がすことを恐れたからである。
信長の逃げ足の速さはいつも戦国一であった。
光秀はそれをよく知っていた。
「生死は問わぬ、必ず御屋形様を見つけ出すのだ」
光秀の長い、長い一日が始まった ・・・・