その三十六 謀反
天正十年(1582年)六月二日未明 本能寺
「何事か!」
雷鳴のような地響きに信長は飛び起きた。
乱丸が転がるように飛びこんできた。その顔にすでに血の気は無く蒼白であった。
「て、敵襲にございます」
普段は信長の寵愛を嵩に家中の武将達にも何等臆することの無い乱丸も、こうなってはまだ十八才の小童である。
「何者の仕業か、」と、信長は問い質した。
「す、すぐに見て参ります」すっかり動転して取り乱した乱丸は、またも転げるように部屋を出て行った。
正直なところ信長自身、この襲撃者に心当たりが見つからなかった。
京、摂津界隈は織田家筆頭の惟任日向守の管轄地で、織田の直轄領である。
互いに腹の探りあいを演じている家康は今、手勢と共に堺にあるが物の数ではない。
洛中には各地の大名の武家屋敷もちらほら出来つつあったが、軍勢と呼べるのを擁するのは別行動中の長男、信忠の軍千五百だけである。
信長の頭にちらと我が子、信忠の謀反がよぎった。
そのとき、少し冷静さを取り戻した乱丸が戻ってきた。
「上様、寺を取り囲んでいるのは織田の軍勢にございます」
信長はやはりと思った。
「信忠であったか」
乱丸の返答は全く意外なものであった。
「いいえ、惟任日向守様の軍勢にございます」
「 ・・・・ 」
信長は愕然とした。
真っ白になりかけた頭で必至に思いをめぐらした。
光秀があれしきの折檻を逆恨みして謀反にまで及ぶ訳が無い。
家康に毒を盛ることさえ固辞するあ奴に、謀反人の汚名に塗れてまで天下を狙う野心などある訳もない。
"天下布武"は自分と秀吉の胸の内にしかない。
そのとき信長の目に、今だ蒼白の面持ちで打ち震える乱丸の姿が目に入った。
「これが迂闊であったか」
信長は、朝廷より三職推任を受けた際の返答を、煩わしさの余りその対処に小姓の森乱丸を赴かせたことを思い出した。
「ぬかったは、簾に腹を読まれたか」
信長は、いざ皇統を守らんとするときの天皇の底力を見縊ったことを悔いた。
堂内には、すでに刺客が入り込んでいるらしく、あちらこちらから争う物音が聞こえ始めていた・・・・