その三十五 雷鳴
天正十年(1582年)六月二日未明 本能寺
信長は桶狭間の日の夢を見ていた。
未明の南の空に、赤々と燃え上がる炎が一つ清洲城の天守から見て取れた。
今川方の大高城を囲む織田方の砦の一つが炎上している炎であった。
それは松平元康が信長との約束を守り、今だ大高城に留まっている証でもあった。
砦はもう一つある。
これで今日一日、最強の三河軍を義元から引き離すことができる。
今日一日が勝負だ。
しかし、信長は事を急ぐことはしなかった。
今川の草の者に義元の言い付け通り清洲城に留まっているか監視されている恐れがあったからだ。
あの炎は義元の沓掛城からも窺えるはずである。
織田が自軍の砦を落とされても動かぬことを見届ければ、義元は慢心して沓掛城を出立するであろう。
いよいよ上洛気分で ・・・・
そこが狙いだった。
夜が明けてしばらくすると、もう一つの砦からも煙が立ち昇り始めた。
信長は守備隊に砦が陥落するときには必ず火を放つよう命じておいた。
信長はそれを見極めると、昂ぶる気持ちを押さえるため敦盛を一差し舞い、具足を付けるのももどかしく清洲城を単騎駆け出した。
あとに続く供回りは、僅か数騎の小姓のみ。
その他の軍勢には、今川方に出撃の報が漏れるのを恐れて待機命令すら出していなかった。
しかし家中の誰しもが信長のそんな出撃方法には慣らされていた。
このような時に備え、信長はいつも単騎駆け出し、最短時間で全軍が臨戦態勢を整える訓練を日頃から課していた。
信長は、集合地点の鳴海砦に向かう途中、熱田神社で神職に戦勝を祈願させた。
このときの信長は、まだ神にすがる謙虚さを持ち合わせていた。
決死の織田軍と大名行列の今川軍が出会うのは桶狭間の丘陵地帯となった。
今川軍は見晴らしの良い桶狭間山の丘の上で、遅い昼飯の弁当を広げるところであった。
双方丸見え同志であった。
ただし、織田軍にとって、今川軍がどんな大軍勢であっても義元の居所を見逃す道理は無かった。
狙いは前日に沓掛城に送り込んだ、真新しき朱色の塗り輿ただ一点。
そこに必ず義元の首もある。
楔の如く織田二千五百の全軍が朱色の塗り輿目指して突き刺さった。
分断された今川の大軍は、先ず己の恐怖と戦わねばならなかった。
歴戦の三河軍は今だ三里先の大高城にある。
遠く西の空には、雷鳴がごろごろと地響きの如く轟き始めていた ・・・・
「何事か!」
信長は何千という軍勢が踏み鳴らす地響きに飛び起きた。
すぐに顔面蒼白となった乱丸が転がりこんできた。
「て、敵襲にございます ・・・・ 」
信長にも滅びの雷鳴が近づいていた ・・・・