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その三十二 御敵征伐

「この様な辛い役回りをしなければならないのであったなら、最初から武家の真似事などせず、公家らしく歌や書でも嗜んでいれば良かったものを ・・・・ 」


近衛前久は、この世で最も厚い友情を結んできた"のぶなが"を朝敵として排除する任を与えられた己の生き方を呪った。


信長討伐を加速させたのは、その後に安土からもたらされた家康の密告であった。



『安土に朝廷に対する不穏な動き此れ有り』


『企ての中心は安土殿と羽柴筑前。家中で対抗勢力と目ぼしきは惟任日向守殿、只御一人』


『我が身も既に策中に在り、監視に晒され、堺に向かわねばならぬ身なれば御一報差し上げるのが精々』


ここにもう一人この期に乗じて己を有利に導こうとする人物があった。


徳川家康の工作である。


十七の頃、今川方として大高城にあったとき、信長から調略を掛けられて困惑していたのが嘘のような強かさである。


信長と同じく、生まれながらの殿様であったが、家康の場合は幼年期に人質として過ごした経験が、その後の人生で信長とは、生と死を分けることになる。


前久は鷹狩りという共通の趣味を通じて、信長と厚い友情で結びついていた稀有な人物であった。


朝廷と武家との橋渡し役を任されるために、年若くして最高の官位である関白も経験していた。


所謂、箔付けであった。


調略に長けた前久にとっても今度の任は辛いものであった。


「たとえこの御敵征伐が成就したとしても、我が身は"のぶなが"に殉じて出家いたそう」


前久はそう心に固く決めた。


そう決心でもしなければ、これからもう一人の知己である日向守の調略に向かうのに心が折れそうであった。


このときまだ家康は、秀吉の素性までは知り得ていなかった。


そのことは家康に天下が回る順番を大きく遅らせることとなる。


家康が晩年の前久の口から秀吉の素性を知らされるのは関ヶ原の後、家康が征夷大将軍を秀忠に譲ってからのこととなる。

古来、討伐、追討、暗殺の(たぐい)は、殺害対象となる人物と最も親しい者を刺客に差し向けるのがセオリーである。


カエサルに対してはブルータスが。(実子であった可能性が高い)


蘇我入鹿(そがのいるか)に対しては、従兄妹の蘇我倉山田石川麻呂が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)藤原鎌足(ふじわらのかまたり)に協力した。


関ヶ原後の石田三成に対しては、親交の厚かった田中吉政が家康に追討を任ぜられている。


ついでに、星飛馬(ほしひゅうま)の大リーグボール3号を打ったのは、親友の判忠太(ばんちゅうた)だった。


親しい者しか知りえぬ立ち回り先や行動パターン、隙や油断など、追跡者、刺客としての適性には合理性を感じる。


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