表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/156

その二十 太閤の遺言

慶長四年(1598年) 関ヶ原の二年前の伏見城、奥



「佐吉、もそっと、ちこう」


三成は太閤の枕元すぐ近くまで膝で進んだ。


「前々より其の方に託しこと、しかと頼むぞ」


「委細承知つかまつってございます」


「話をするのも難儀になってきよった。其の方と話せるのも最後かも知れぬゆえ誰にも明かしたことの無い秘密を明かす。人払いいたせ」


三成は御殿医をはじめ御付の者たちを下がらせた。


「徳川殿は律儀なお方である。それ故、幾度も誓紙を書き記していただき、秀頼が元服するまでの後見をお願いしておる」


三成は最近の家康の不穏な所業について、弱った太閤に直訴することができなかった。


自分自身で蹴りをつける、という自負もあった。


「おみゃーが言わなんでも、徳川殿の専横振りはわしの耳にも届いておる」


「申し訳ございませぬ」、三成は平伏した。


「武士とは、そのとき、そのとき勢いの在る者に皆、靡くものじゃ。

わしもそれを用いて徳川殿と天下を取りおうた。

徳川殿もずいぶん長きこと我慢をなされたのよ。

佐吉。我が命が尽きれば、徳川殿の権勢ますます強まり、誰も物申せなくなるやもしれぬ」


三成も同じ見立てであった。


治部少(じぶのしょう)、其の方に我慢が出来るかな」


三成は平伏したまま答えた。


「分かりませぬ、すでに我慢の限界にございます」、声が震えた。


「ふふふふ、うっ、つ、つうー」と、秀吉は苦しそうに笑った。


「はぁ、なぜ、我慢のしどころなのかを、これからそなたにとくと話して聞かせよう」



太閤から三成への長い、長い遺言が語られ始めた。

いよいよ物語の核心部分へ突入します。


次回より、秀吉から衝撃の真相が語られる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極秘情報の90%は、公開情報の中にある!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ