序の弐 お茶々
天正十六年(1588年)関ヶ原の十二年前の大坂城
「殿下! いかがなされましたか」
懇談中の三成は太閤の異変に気付くや、そば近くに駆け寄った。
鳩尾のあたりを押えながら突っ伏した秀吉が呻くようにこぼした。
「まただ ・・・・ 近頃急に差し込みが ・・・・ 」
大坂城の天守の奥で、引き攣るような胃の痛みに襲われながらも秀吉はまだ諦め切れぬことがあった。
三年前におねねの兄の子、秀秋を養子には迎えていた。
いずれは豊臣の家督を継がせる心積もりでもあった。
先だって執り行なわれた聚楽第行幸のおりには、豊臣の跡取りとして秀秋も同席の上で、又左と家康に豊臣家への永遠の忠誠を誓わせた。
後陽成天皇の御前で。
三成に抱き起こされながら秀吉は豊臣の今後を語った。
「もう大丈夫じゃて。いつおっ死んでも手は打ってある ・・・・ それに豊臣にはそなたがおるでな」
「殿下! ・・・・」
三成が弱気となった秀吉を諌めた。
しかしながら人々から「さる」とも「はげねずみ」とも陰口をささやかれるこの老人は、いまだ直系の跡継ぎを得ることに未練を捨てきれていなかった。
「今思えばわしは精が強すぎたのかもしれぬな」
「如何にも」、と三成が真面目な顔で受けた。
この二人は主君と家臣以上の信頼で結ばれており万事遠慮は無用であった。
「そういえば佐吉、あれはおかしかったぞ。
伴天連のふろいすに大坂城を見せてやったときのことだ。
奥の女中どもを見て、皆わしの妾だと心得違いしておった。
あやつ、主の法王とやらにわしのことを妾が三百人もおる好色の国王とでも書いて遣るのだろうて。
立ち枯れの老いぼれ法王が、わしのことを何と思うことか」
そのとき秀吉の頭に閃いた。
・・・・ 老いて弱った今が跡目作りには丁度よいのかもしれぬ ・・・・
・・・・ お茶々なら ・・・・
昔、藤吉郎の頃より憧れた戦国一の美女"お市の方"。
そのお市の方の浅井への輿入れの一切を仕切ったのが秀吉であった。
まだ敵国だった美濃を無事通過するために秀吉の調略の手腕が遺憾なく発揮された。
その後の美濃攻略の足がかりともなった輿入れであった。
そんなお市様の面影を最も強く受継いだ長女のお茶々が年頃となっていたことを秀吉は忘れてはいなかった。
いや、ずっと待ち望んでいたのだった。
「佐吉よ、 ・・・・ お茶々をな、・・・・ 側室に迎えようと思うておるのだが、そなた異存は御座らぬか」
秀吉には珍しく三成に伺いを立てた。
三成は些かも躊躇せずに答えた。
「それは大変よろしきことと存知まする。
奥向きの儀ゆえ取り急ぎ孝蔵主殿に手配いたさせましょう。
御殿医を呼んでまいりまする、しばしお待ちを ・・・・ 」
三成は無表情のまま秀吉を残し退席した。
このとき秀吉五十一歳、側室に請われたお茶々は十九歳でありました。