その十七 仕置き
天正一九年(1591年)時を少し遡り、秀吉存命の頃の大坂城
「殿下、治長めへの処罰、如何なる仕置きといたしましょうか。
釜茹でであろうと、串刺しであろうと、果ては牛馬で引いての八つ裂きであろうと何なりとこの三成めにお申し付けください」
怒りに震える三成と対照的に秀吉は落ち着いた様子であった。
「勇ましいの佐吉。まるで嫉妬に怒り狂っとるのは其の方のようであるかのような言い様ではないか」
秀吉は三成と二人だけで密談をするときにはいつも幼名の佐吉の方で呼んだ。
「佐吉よ、もう良い。わしは治長のことも、お茶々のことも、少しも怒ってはおらんのじゃ」
三成は驚き「何とお心の広い・・・・」、と感嘆してみせた。
秀吉は笑いながら「そうではない、よいか佐吉 ・・・・ 」
秀吉は二人しかいないのにもかかわらず声をひそめた。
「このことを知る者は?」
「奥のごく僅かの者のみにございます」
「治長本人も悟られておるとは気づいておらんな」
「はっ。悟られたと気付かば、その場で腹を掻っ切るはずでありましょう」
「ならばこのまますてておけ」
「 ・・・・ 」
「察してきたか、さすがは治部少輔じゃ。
わしがこれから申すこと、秘密裏に事が進むよう其の方に任せる」
天守閣の奥深くで不可思議な密命が太閤から三成に申し渡されようとしていた。