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第二部 秀頼と千姫 プロローグ

石田三成の処刑から、十日余りが経過していた。


宇喜多秀家は関ヶ原の敗戦を生き延び、近江と美濃の堺の白樫村の土豪、矢野五右衛門の元に匿われていた。


その秀家に、家臣達の奔走により脱出の目処(めど)が立ったことが伝えられた。


「進藤三左衛門は徳川との交渉を上首尾に(まと)めましてございます。

明後日には殿を奥方様の待つ大坂屋敷に、お連れ出来る運びとなりました」


秀家の助命交渉は徳川との間で秘密裏に進められていた。


落ち武者同然の秀家にとって、大坂屋敷に残した妻女のことは何よりの気掛かりであった。


京、摂津界隈はすでに完全に東軍の支配下に置かれ、大坂城西の丸の家康からは論考行賞が次々と諸大名達に出されていた。


その大坂にある宇喜多屋敷は、前田の姫である豪姫があるゆえ無事であったが、一時は豪姫も秀家がすでに落命していると思い込み、落胆に沈んでいた。


秀家の存命は決死の潜入を果たした進藤三左衛門により、大坂屋敷に伝えられていた。


その愛しい豪姫とも、もうすぐ再会できる ・・・・


秀家は命ある喜びを改めて噛み締めた。


共に決起の旗を揚げた刑部少(ぎょうぶのしょう)も治部少も、今はこの世に無い。


特に、京、摂津、堺、と晒し者となった挙句に打ち首となった治部少(じぶのしょう)達を目の当たりとした大坂屋敷の住人は生きた心地がしなかったであろう。


秀家は此度、徳川との裏交渉を成功に導いてくれた進藤三左衛門ら家臣達に深く感謝した。


三左衛門の徳川方との交渉は巧みであった。


三成らの処刑が済むのを見届けてから、秀家の脇差を手にその生存を(・・・)届け出た。


東軍の諸将や徳川の家中に於いても関ヶ原の首謀者(・・・)の三成が処刑されたことで戦には一先ずけりが付いたとの認識が広まっていた。


後の興味は己のはたらきに対する論考行賞の加増、移封に移っていた。


それに大事なことであるが、秀家は豊臣家の人間である。


太閤秀吉の養子であり実際、豊臣(・・)権中納言秀家と名乗ることが多かった。


捕縛したからといって、豊臣(・・)の名を冠する秀家を三成らと同列に打ち首に出来るかと問われれば、家康も豊臣家にはばからずにはおられなかったであろう。


この頃の家康は関ヶ原に勝ったとは云え、まだ豊臣家の執権であることに変わりは無かった。


それに秀家を断罪するとなると家老の本多政重も同列に断罪せねばならなくなる。


それも徳川に尽くしてくれた影の功労者である本多親子には都合が悪いこととなる ・・・・


三左衛門は交渉の中で、政重の間諜活動の証拠を握っていることを相手方の本多正信にさり気なく匂わせることも怠らなかった。


かくして宇喜多秀家を捕縛することは、徳川にとっても益の無いことであるとの合意に至り、穏便に遠国(おんごく)に逃がすことを認めさせるに至ったのである。


ただし、そこは抜け目の無い正信老人である。


秀家を逃がす先は"薩摩の島津へ"と注文を付け加えた。


これは、関ヶ原で不戦の約束を反故にした徳川の弱みに付け込み、改易や減封や臣従を拒むであろう島津に対処するための布石であった。


仮にも豊臣家の継承権を有する秀家をわざと島津に預け、事あらば島津が秀家を奉じて天下を揺るがす者といちゃもんをつけるためである。


立花宗虎や加藤清正、黒田如水ら九州の諸大名と結束して九州連合を打ち立て、徳川に楯突くことを画策している島津義弘は必ずこの餌に食いつくであろうと。


いやはや、転んでも只で起きぬとはこの事である。



脱出決行当日、秀家は急病人を装い屋根付きの台車に乗せられた。


垂井に出てから中仙道を西に向かい、途中関ヶ原に差し掛かった。


台車に掛けた日除けの(すだれ)の合間から一月前の激戦地が覗い見えた。


福島の軍勢を退けた藤古川の土手が、三成が大筒を据えた笹尾山が、小早川が大軍を隠した松尾山が次々と視界に現れ、そして消えていった。


法螺(ほら)の音が、鉄砲の斉射音が、耳をつんざく砲声が、馬のいななきが、剣戟の音が、悲鳴が、次々に蘇っては消えた。


しかし秀家には何の感慨も沸いては来なかった。


まるで遠い前世の記憶のように感じられた。


やがて街道は琵琶湖の畔を行くようになり、湖の向こうには霞がかった美しい山並みが見えてきた。


反対側の山上には、これまた美しいと評判の佐和山の城がそびえているはず(・・)であった。


秀家にはとてもそれを見ることは出来なかった。


「 ・・・・ 黒田、佐和山城は見えるか ・・・・ 」


問われた黒田勘十郎は、「残念ながら、石垣だけを残すのみにございます ・・・・ 」、と答えるのみであった。


途中いくつか東軍の設けた関を抜けたが、新所司代の奥平信昌のお墨付きでどこも素通りが叶った。


難なく伏見まで辿り着き、そこからは淀川を下る船の客となった。


目指す大坂屋敷は淀川の畔にある、夜陰に紛れ屋敷に到着した秀家を妻の豪は泣きながら出迎えた。


「よくぞご無事で ・・・・ 」


二人はひしと抱き合った。


しかし再開したのも束の間の喜びであった。


この後、関ヶ原の実質的な総大将であった宇喜多秀家が辿る人生は、余りにも長く苦しいものとなるのであった ・・・・

おかげさまで第二部に突入します。


2話以降はタイトル、『新説関ヶ原 第二部 秀頼と千姫』で、引き続きお楽しみくださいませ。


http://ncode.syosetu.com/n8589h/novel.html

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