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最終話 孤島の老人

伊豆半島の遥か沖合いに浮かぶ八丈島。


夕暮れの海原を見下ろす断崖の上で、一人の老人が岩に腰掛け沈みゆく夕日を見つめていた。


その深く刻まれた顔の(しわ)一本一本に、この老人が辿った数奇な運命が宿っていた。



老人の名は、宇喜多秀家。


かつて豊臣権中納言(ごんちゅうなごん)秀家とも名乗った豊臣家に連なる大名である。


関ヶ原と三成の処刑からは、すでに五十余年の歳月が過ぎ去っていた。


もう、当時のことを知る大名や武将は誰一人として生きてはいなかった。


家康は四十年も前に死去して、すでに東照大権現に祀られていた。


壮麗な東照宮の造営には、焼け落ちた大坂城の地下蔵から密かに掘り出された、

どろどろに溶けた金塊の一部が使われ、残りは江戸幕府二百六十年の(いしずえ)となった。


清正や幸長は豊臣の滅亡を待たずに身罷っていた。


正則が己の不甲斐無さを生涯責め続けながら割腹して果てたのも三十年以上前のことである。


片桐且元はさらにずっと早くに己の所業を悔いて割腹していた。


秀頼と母のお茶々は家康の寿命の尽きる僅か一年前に非業の最期を遂げた。


あと一年、あと一年家康が死ぬのが早ければ、豊臣は滅亡まではしなかったであろうことが悔やまれた。


あいや、秀頼と千姫の間に順当に子が授かっていて、曾祖父の、家康のその手に抱かせてさえおれば、

何ごとの問題も無く、ただの羽振りの良い大坂の縁戚として生き延びていたかもしれない。



・・・・ 三成の思い描いたままに ・・・・



「はぁーーーーー」、と老人は深い溜息をついてから腰を上げ、家路につこうとした。


家といっても雨風を防げるだけの掘っ立て小屋である。


夕日を背にした老人の行く手には、いくつもの岩山がそびえ立っていた。


それらが、燦然(さんぜん)と夕日を浴びて輝く天守を頂いた、在りし日の大坂城の姿と重なった。


老人の口から歌が一首こぼれた。



「露と落ち、露と消えにし 我が身かな 難波(なにわ)のことも 夢のまた夢 、か ・・・・ 」



老人が口にした歌は、義父の太閤秀吉の辞世であった。







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