その百五十二 云わざる
「あま多いる徳川の家臣の中から、あえて奥平貞治殿を小早川の軍監に選んだということは、刑部が関ヶ原に長篠の再現を企てておったことを内府殿は事前に察知していたということであろう」
「まず間違いございますまい」
「しかし我等とて、ただ陣地を掘って大筒を担ぎ上げていただけでは御座らぬ。
如何な内府殿と云えども予見不可能な秘策を仕掛けておったのだ」
「 ・・・・ 」
「小早川が土壇場で裏切るのは西軍ではなく東軍の方であったのだ」
「それはまことで御座いますか?」
「秀秋殿は土壇場まで東軍に組した風を装い、すでに内府に抱き込まれた二人の家老を謀っておった。
最後の最後に主君自ら小早川の全軍に大坂方への加勢を宣言するそのときまでな。
おそらくそこまでは予定通り進んでいたはずである。
叔父上も土壇場の混乱の中で、本当はすでに松尾山で亡くなっておられたのだろう。
反対する者があらば侍大将の松野主馬が排除する手筈でおった故。
しかし小早川の内部で内紛があったと知られては都合が悪い家老達の手によって遺骸は激戦地に運ばれ捨てられたのであろう。
しかしますますおかしな事になってしまったし、内府殿の気付くところともなったというのが事の真相と推察致す。
疑いを掛けられた小早川は我が佐和山城攻めの先鋒を申しつかり、秀秋殿はさぞや心苦しかった事であろう」
「それでも小早川に豊臣を託すと?」
「如何にも、秀秋殿は秀頼様のもはや唯一の兄弟にして豊臣家の第二位継承者でありますからな」
・・・・ やはりこの男は私利私欲で徳川に歯向かうような人間では断じて御座らぬ ・・・・
「胸のつかえが取れ申した。某、小早川の件は墓場までもって行きまするゆえご案じ召さるな」
「 ・・・・ かたじけない」
「石田殿、そなたとはもっと早うに出会っておきたかったもので御座いますな。
その、昔の合戦好きの友とやらともご一緒に ・・・・ 」
二人は杯に残った酒をぐいっと飲み干した。