その十五 本多正信
おねねが去った後の大坂城西の丸は、今や豊臣政権の執政として権勢を振るう徳川家康の執務に共されていた。
「さて、北政所様は我らの意図した通りに動いてくれますかな」
家康より四歳年長の本多正信は、この頃の家康に最も影響力のある家臣であり、数少ない友でもあった。
戦働でより、その謀略の才で家康の右腕にまでのし上っていた。
「北政所様はこちらの意図になぞ、すぐ気付かれるであろう、賢きお方である」
家康はおねねに謀略を仕掛けることに最後まで乗り気ではなかった。
「それも端から算段に入れての仕掛けでありましょう」
家康は見え透いた偽りを言わねばならなかった事に、少なからぬ後ろめたさを感じていた。
「北政所様には『秀頼は三成の子』などという戯言は通じまい。
三成は幼少の頃より清正や正則らと共に、北政所様が我が子の如く育ててまいったのだ。
あの、煮ても焼いても喰えぬ『へいくゎいもの』の気性は、散々痛い目に逢っておるわしらより遥かにご存知じゃ」
「上様は、北政所様を甚くかっておられますな、惚れておられましたか」
「正信、いくら其の方とて口がすぎるぞ、ひかえよ」
「人は誰しも本当のことを突かれたときほど腹を立てるものと承知しております。
上様のそういう実直で律儀なところが表向きにあってはじめて、裏の策が生きてまいるのです」
「其の方の喰えなさは、あの治部少めとよい勝負じゃ」
「たとえ北政所様が三成を信じるにせよ、秀頼様が太閤殿下の御嫡子かどうかということについては前々より疑ごうていらっしゃるはず。
この西の丸を上様に明け渡して、さっさと隠居してしまわれたのが何よりの証拠でありましょう。
あとは、その小さな種火に息を吹きかけるだけで、回りが勝手に燃え盛ってくれまする。
どちらに転んでも徳川に損はありませぬ。
仕上げは三成めが動き出しやすいよう早く大坂を留守にすることですな。
目ぼしき豊臣ゆかりの大名ごと。
そちらのほうの手筈も秘密裏にととのえてございます」
家康はこの正信が徳川方に仕える者であったことを、つくづく幸いであったと思うのであった。
敵ながら見事な忠臣である石田治部少輔三成が豊臣方にあってくれたことにも。