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その百四十四 戦勝報告

「これより、めでたくも賊軍を打ち破りし徳川内大臣殿より、戦勝の御報告を賜りとう御座いまする」


すっかり豊臣の家老然とした片桐且元が重々しい口調で家康を指名した。


悠然(ゆうぜん)と顔を上げた家康は敵意をひた隠した満面の笑みであった。


「秀頼様、御母堂(ごぼどう)様。またこうして御前に参上仕(つかまつ)り、しかも戦勝の御報告が出来ます事、この徳川家康、心より恐悦至極と存知奉りまする。

今よりふた月も前に、秀頼様の御命により、勅命をも携えて、会津に上杉を討伐に出立いたしたときには、よもやこのような仕儀となろうとは夢にも思わぬ、東国遠征にございました。

紆余曲折は御座い申したが、今こうして豊臣に巣食う、獅子身中の虫を一掃し、大坂城に凱旋できましたことは、これひとえに、秀頼様の御威光の賜物であると心得まする。

これからも幾久しく豊臣家の御繁栄と天下に泰平が続きまするよう、家康、ならびにここに集いし領主たちの名にかけて、身骨細粉、御奉公させて頂く覚悟に御座いまする」


野心のかけらも仄めかさない、模範解答のような文言がちりばめられた家康の口上であった。


且元が目でお茶々に家康への労いの言葉を求めた。


ふたたびお茶々の凛とした良く通る声が広い謁見の間を満たしていった。


「徳川家康殿、ならびに徳川殿に御味方下された諸侯の方々に、秀頼に代わって厚く御礼いたしまする。

長きに渡る行軍の果てに、袂を分かったとはいえ、かつての友や同僚と合い争わねばならなかったことは、筆舌に尽くしがたき苦行であったろうと、お察しいたしまする。

泰平の大坂城に暮らす我ら母子には、およそ計り難き辛苦をくぐり抜けてこられたそなたたちに、わたくしは、かける言葉すら見つかりませぬ。

太閤殿下が築かれし、天下泰平の世に、僅か二年を待たず、綻びが生じたことはまっこと不幸なことなれど、今こうして諸侯が再び結束して、この日の本(・・・)に唯一絶対の豊臣政権を奉じ、諸国一丸となって国家を再建されんことを、秀頼の母として願うのみでございます」


「はっ、はーーーー」


「おーーーーー」


「はーーーーー」


武将達が心の(ひだ)に負った、深い悲しみの傷を癒すようなお茶々の謝辞が、無骨者たちの魂を揺さぶった。


今にも"千秋万歳"の斉唱でも始まるのではないかと思える晴れやかな空気である。


感極まって落涙したのは、家康の密命により、佐和山に三成の一族を葬った田中吉政であった。


嘘と建前で塗り固めた家康の口上など、もう誰も覚えてはおるまい。


感極まる諸将達の中で、家康、秀忠、直政、忠勝、正信らだけが固い表情のままうつむいていた。


それは上段のお茶々からよく覗えた。


第一ラウンドは完全にお茶々の勝ちである。

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