その百四十三 淀の方
大坂城本丸奥御殿の謁見の間には、すでに家康を除く全ての東軍大名達が刻限通りに参上していた。
通常、年頭の挨拶のような大勢の大名が一同に会する公式行事の場合には、参加者はいったんいくつかの控えの間に事前に集められてから先導者に導かれて本会議場である謁見の間に案内されるのが恒例である。
今回は通常の公式行事以上にナーバスな対面であるにも関わらず、控えの間は用意されず三々五々と登城してきた大名達はいきなり謁見の間に通されたことに面食らっていた。
おそらくいつものように控えの間を社交場として開放してしまうと大名達の間で様々な情報が交換されたり、良からぬ噂が流布することを家康が警戒したためであろう。
堅苦しく長いあいだ待たされる方は、たまったものではなかったが誰一人文句を言うものはいなかった。
一段高い上席から、かなりあいだを空けて、前列には石高順に小早川秀秋、筒井定次、福島正則、細川忠興、黒田長政、浅野幸長、蜂須賀至鎮、藤堂高虎らが。
二列目には、吉川広家、池田輝政、田中吉政、松平忠吉、井伊直政、本多忠勝、山内一豊、脇坂安治らが。
最後列にはその他の小大名と関ヶ原に遅参した徳川秀忠、そして陪臣ながら本多正信が列席していた。
朽木、赤座、小川ら土壇場での寝返り組みは東軍とは見做されず、哀れな末路を辿ることとなる。
大名達は等間隔に座して、秀頼のお出ましを今か今かと待ちかねていた。
上段と前列との間がかなり開いてしまっているのは、そこに座るべき主がいまだ到着していないからであった。
前列の中ほどにすでに着座した正則は、家康がわざと秀頼より後から入室してくるのではないかと疑っていた。
・・・・ 秀頼様を蔑ろにするようなら、内府の本心も丸見えとなろう ・・・・
やがて上段に、主君のお出ましに先立ち、大柄な太刀持ちの小姓が現れ、まもなく主もお出ましになる気配となった。
この席の進行を務める片桐且元のところには小役人が入れ替わり立ち代り寄り集まり家康の不在と秀頼のお出ましを諮りかねていた。
その様子を真近に見る正則は、
・・・・ 淀の方の御気性なら、内府が間に合おうが間に合わなかろうがお出ましあそばすであろう。さすれば早くも決裂決定か ・・・・ と、先行きを案じた。
他の者もいきなりの緊迫した状況を察した様子であった。
皆の緊張が極限までに高まったとき、正則の前をさっと黒い人影が過ぎり最前列に着座した。
でっぷりとした体型に似合わず、機敏な動作で現れた人影の主は家康だった。
皆がほっとしたそのとき、お茶々とまだ幼き主君が上段に現れた。
間一髪であった。
・・・・ 内府め、わざとか? ・・・・
平伏して迎えた面々の頭上を茶々の凛と通る声が響いた。
「皆の者大儀、 ・・・・ 面を上げられよ」
上段に出ました淀の方は遠くのほうから皆の顔ぶれをゆっくり見回し最後に最前列に唯一人座す徳川内大臣家康に目を留めた。
その目には怒りも恐れも憎しみも帯びておらず泰然としていて不気味ですらあった。
・・・・ 太閤殿下の御寵愛を嵩に、わがまま放題のお姫様かと思うておったが、いつの間にかどうしてどうして、たいした貫禄では御座らぬか ・・・・
正則は居並ぶ大名たちも皆そのような印象を淀の方に抱いたであろうと思った。
・・・・ これは結構期待できるかも知れぬ ・・・・
お茶々の横には八歳の秀頼が伏目がちに、姿勢良く座していた。
これがあのちんちくりんの太閤の子だとは俄かに信じられないほど、すらりとした面長の美少年に成長していた。
・・・・ 母方似には違いなかろうが、なんとも太閤殿下の面影の微塵も御座らぬな。内府にはさぞかし好都合であったろう ・・・・
司会の且元が緊張をほぐすためかひとつ咳払いをして、いよいよ戦勝報告が始まろうとしていた