その百四十二 聞かざる
毛利輝元が退去した西の丸には、日を置かずすぐさま家康が入り、関ヶ原の戦後処理にあたった。
筆頭大老から単独執権の座に昇格した家康が先ず手がけるのは論功行賞である。
この時期、本多正信は日夜付きっ切りで家康を補佐した。
徳川にとって、今後数日間は正に正念場である。
関ヶ原でのようなへまは今度こそ避けなくてはならない。
「上様、そろそろ秀頼様と淀の方への戦勝報告会の刻限で御座いますれば ・・・・ 」
「分かっておる」
家康は機嫌が悪かった。
おねねとの取引で最愛の孫娘の千姫を豊臣に輿入れさせる密約を交わしたことと、関ヶ原で自軍の消耗を避けるべく借り物部隊で勝利したのはいいが、
外様への加増が嵩むこととなり、生来がけちな家康は褒美を出すのが勿体無くてしょうがなかった。
・・・・ 輝元めは難癖を付けて所領を取り上げれば良いにしても、吉川と小早川は加増せぬわけにはいくまい ・・・・
清正、正則、幸長、長政、高虎、高次、高知、一豊、嘉明、皆北政所には頭の上がらぬ者ばかり加増せねばならぬ ・・・
一番手柄はやはり正則ということか ・・・・ ふんっ!
家康は仏頂面のまま会見の会場となる本丸広間への廊下を突き進んだ。
「上様、もちっとご面相を愛想よくお作り頂かぬと、まるで喧嘩を売りに行くようで御座いまする」
「 ・・・・ 」
途中、玄関側から登城してきた藤堂高虎と鉢合わせた。
家康は仏頂面から満面の笑みに豹変した。
「これはこれは高虎殿、その節のお働き、この家康きちーんと報いさせてもらいますぞ」
家康は心にも無い言葉をかけた。
高虎は一礼すると更に家康に擦り寄って、「内府殿、関ヶ原の首謀者は実は三成ではなく大谷刑部で御座ったこと、ご承知でありましょうか?」、と囁いた。
家康の顔が一瞬で険しくなった。
「何故そうだと ・・・・ 」
「五助が死の間際に白状いたしておりました」
「 ・・・・ 高虎殿、そのことをたれぞに?」
「いえ、まずは内府殿にと ・・・・ 」
「悪いようにはいたさぬゆえ、そのこと他言無用に願いたい ・・・・ 」
「 ・・・・ 承知いたしました。藤堂家からは一切漏らしませぬ」
安堵した家康に高虎が念押しした。
「今後、藤堂は譜代も同様に内府殿の手となり足となり徳川をお支えする覚悟にございます」
「お心遣い痛み入る ・・・・ 」、家康はしぶしぶ高虎の申し出を受け入れた。
こののち、藤堂家により大谷刑部少輔吉継の墓が関ヶ原に立てられるのだが、けっして善意で立てられたわけではない。
関ヶ原の真相を藤堂家が握っていることを、末代まで徳川幕府に知らしめておくためである。
藤堂家は外様でありながらこれより二百六十六年後の第二次長州征伐に至るまで、譜代の伊井家と並んで徳川の先鋒を約束されることとなる。
天下を目指す者あれば、その果実の分け前にありつこうと擦り寄る者あり、今も昔も権力は腐敗の難から逃れられない定めである。