その百三十三 義弘の告白
「そもそも島津は徳川に味方するつもりでごわした ・・・・ 」
「 ・・・・ 」
義弘は命を助けてくれた礼に、宗虎に全て正直に話すことにした。
「けっして大軍勢とは申せぬ島津が徳川に最も恩を売れるのは籠城戦であると思い至り、
孤立する伏見城の援軍を買って出申した。
しかし城代の鳥居元忠は頑強に援軍を断りよった。
聞いておらぬとぬかしてな ・・・・
あれは如何にも不自然な返答でごわした。
誰がどう考えても一人でも多くの援軍が欲しいところでごわそう。
おそらく ・・・・ 内府が鳥居に申し渡した命は、伏見城を如何に持ち堪えさせるかではなく、
如何に壮絶に死するかということであったのでごわそう。
徳川に同情する同調者を増すためと、東軍の結束をより強固にするために。
それに大坂方を足止め分断する役目は、伏見城の先の大津城が果たしましたゆえ ・・・・ 」
そう言って義弘は宗虎の方をちらと見た。
「東軍からあぶれた島津は仕方なく大谷と宇喜田の誘いに乗り、腹を決めて西軍の一員となり申した。
薩摩からの増援を期待されもしたがそんなものは来もうさなんだ。
京摂津界隈の親戚縁者を総動員してようやく千五百まで兵を集め、どうにか格好がつき申した。
大谷と治部めはさぞかし失望したことでごわそう ・・・・
そんなおり、どうやって嗅ぎ付けたのか西軍が支配する京近江界隈にも関わらず井伊直政の手のものが接触してきもうした。
当初の約束通り徳川側につけと。
一旦西軍に加わった以上、薩摩者がころころと陣営を変えられるものかと一蹴しもうした。
直政はさらにその先を読んでおりもうした。
明確に味方せずとも良か ・・・・ 兵を動かさずばそれで良かと」
ここまで聞いた宗虎の心はざわめいた。
島津も井伊直政からの調略を受けていた。
その上で島津は関ヶ原に参陣していた。
義弘は続けた。
「いくら兵を動かさずば良かと云われても、薩摩の突進力を買われて最前線にでも配置させられてはそうはいきもさん。
すると直政はこういう手まで用意しておった。
島津の相手は井伊の軍勢が引き受けると。
お分かりになったでごわそう宗虎殿。
島津は井伊直政の軍勢と戦う振りをばしておればよかということでごわす」
宗虎はあわや落馬しそうなほどの衝撃を受けた。
・・・・ 井伊直政 ・・・・・
義弘は馬上で天を仰ぎ見た。
「直政の調略にまんまと乗った島津が愚かでありもうした。
いや、直政本人は信じるに足る人間でありもうした。
如何に策謀を巡らせようとも自ら結んだ密約を破るような男では断じてありもうさななんだ。
おそらく土壇場で約束を反故にするよう命じたのは ・・・・ 家康!
小早川の東軍加勢によって勝敗の行方が決定的になったとき、それまでの態度を一転させ伊井の赤備は猛然と島津に襲い掛かって来よりもうした。
我らは多大な犠牲が出るのを覚悟の上で徳川本陣を掠める敵中突破を敢行しもうした。
すべて天下に徳川の裏切りを知らしめるためでごわす。
あれを目の当たりとしたもんは島津の憤り尋常ならざるものと理解したでごわそう。
だからでごわそう、直政は執拗ともいえる執念で我らを追撃してきもうした。
密約の存在、そんでもってそれを反故にした徳川の不義が他国に漏れんようにわしを消すため ・・・・
尋常ではござらん追激戦の中で、我が甥の豊久が討ち死にし、どうやら直政と家康の四男坊も手傷を負ったようでごわす。
わしは御覧の通り僅かな兵とともにそなたの助けを借りて薩摩まで帰る事が叶いそうでごわす。
しかし勘違をしてもらっては困りもうす。
己が命を惜しんで薩摩に帰ろうとしておるのでは御座らりもうさぬ」
「 ・・・・ 」
宗虎は義弘の意図を察した。
「わしが家康の犯した不義の生き証人である限り徳川は薩摩に手出し出来もうさぬ。
太閤亡き後の家康の狙いは、まごうことなく天下取り ・・・・
天下の差配を執り行なおうかという者が、密約とはいえ大名同士で交わした約儀を反故にしたこつが明るみとならば誰も徳川に付き従わなくなりもそう」
「 ・・・・ 如何にも ・・・・ 」
「おいどんが恥を忍んで立花殿に助けを求めた訳もお察しいただけたでごわそう」
「当主としてもっともな御振る舞いで御座る」
「そしてこん話を聞き及んだ立花も、徳川に対する持ち札が増えたということでごわそう」
「 ・・・・ 」
宗虎の中で絡みついた糸がすーとほどけた。
「島津殿、某にもお話しておくことが有り申す ・・・・ 」
薩摩弁のわかる方、監修お願いいたします。