その百三十二 義弘と宗虎
大坂城で徹底抗戦する道を閉ざされた宗虎は、失意のうちに領国柳川に帰ろうとしていた。
宗虎は考えていた。
もしあのとき井伊直政の調略を撥ねつけて伊勢経由で大垣城に駆け付けていたなら、関ヶ原の結末はどのように変わっていたであろうか。
・・・・ 関ヶ原を間近に見た者から話が聞きたい ・・・・
そう願って止まない宗虎のところへ偶然にも関ヶ原の渦中を生還した大名から救援の依頼が舞い込んで来た。
島津義弘であった。
関ヶ原の最後に徳川の本陣目掛け敵中突破を果たしたあの島津義弘である。
宗虎は一も二も無く九州までの同道を受け入れた。
摂津のはずれで義弘の一行と合流した宗虎は島津方の人数があまりに少数なことに驚いた。
宗虎は家臣に「島津の家中の者達はまだ揃っておらぬのか ・・・・ 」、と問うた。
「 ・・・・ 殿、島津の生き残りはあれが全てで御座います」
・・・・ なんと、七、八十人見当しかおらぬではないか。
「殿、申し上げて宜しいでしょうか」
家臣の一人が宗虎に具申した。
「かの島津公は先代の道雪様の仇に御座りまする。
仇を討つのにこれほどの好機は二度と御座いますまい。
御下命いただければ我らが手で ・・・・ 」
家臣の云うとおり島津義弘は宗虎をここまでの武将に育て上げてくれた養父の立花道雪の仇であった。
「其の方の申す事もっともなれど、敗軍の将が恥をしのんで保護を求めて来たのを親の仇だからとこれ幸いに討ち取るのが果たして武人の誉れとはわしには思えぬ」
「御意に、お言葉どおりに ・・・・ 」
以降、立花の家中は島津を丁寧に遇した。
程なく両軍の撤退の行軍が始まると宗虎は共も従えずに島津の隊列に寄り添い義弘と鞍を並べた。
傍目には敗軍の将である義弘の方が背を伸ばして堂々と、無傷の宗虎の方が意気消沈して見えた。
「島津殿、同道の道すがら関ヶ原でのことをお聞かせ願えまいか ・・・・ 」
宗虎の懇願するような態度に義弘は宗虎の悔恨を垣間見た。
「よかでごわす ・・・・ 」
こうして義弘と宗虎との間で、奇妙なほど符合する境遇が語られようとしていた ・・・・