その百三十 見ざる
未明に受けた奇襲で大損害を被った上杉勢は死傷者の処置に追われていた。
間の悪いことにそんなどさくさの最中に会津から景勝の伝令が届くのであった。
それは関ヶ原の顛末と、あわせて速やかに最上領から撤退せよという命令であった。
それまで傍観の構えを取っていた伊達の援軍も山から降りて来る様子が覗え、山形城の最上と共に撤退を余儀なくされる上杉を追撃してくる姿勢を鮮明にした。
ここに及んで兼続もようやく全軍に最上領からの撤退を指示した。
しかし間際に死傷者が多数出たため、本来迅速であるべき陣の引き払いには機敏さが欠けていた。
上杉の撤退開始は遅れに遅れ二日後の十月一日に延びた。
もたつく上杉の内情を察した最上と伊達の連合軍が一糸乱れぬ隊形で浮き足立つ上杉に襲い掛からんとした。
最上の新型鉄砲が一斉に火を噴き上杉の混乱にさらに拍車をかけた。
上杉は撤退戦の隊形も陣形も満足に作れぬままに潰走しはじめた。
・・・・ あまり逃げ足が速いのもよろしくない ・・・・
面目も体面もかなぐり捨てて逃げ出そうとする自軍に対して兼続は、上杉の家名を汚さぬようきっちり殿軍戦をするよう仕向けた。
殿軍の隊長は年甲斐も無く目立ちたがり屋の新参者、前田利益(慶次郎)が買って出た。
これまで満足に軍を指揮したこともない利益は、見た目だけは派手な無鉄砲さで最上の先鋒に突進していった。
あわや鉄砲の餌食と思いきや最上の前線が緩んだ。
ここぞとばかりに上杉の殿軍部隊が橋頭堡を築こうと踏みとどまると伊達と最上の突撃部隊に呑み込まれて全滅した。
肝心の前田利益は後退して難を逃れていた。
こんなことを何度も繰り返すうちに上杉の犠牲者だけが積み上がった。
・・・・ すべて兼続と義光の打ち合わせた通りであった ・・・・
優位に展開する最上軍の中にあって義光に異を唱える者があった。
「殿、如何に駒姫様の復讐とはいえ、このような不義の戦、御家の為になりませぬ。
殿は徳川に利用されておるので御座いまする ・・・・ 」
こう云って義光を何度もいさめてきた重臣の堀を不幸が襲ったのは追撃戦の最中であった。
義光の横で馬上にあった堀を背後から飛来した弾丸が貫いた。
義光ら周囲の者が落馬した堀を確かめるとすでに事切れていた。
義光はかぶっていた兜を脱ぐと配下の射手の一人に自らの兜の前楯を撃たせた。
「良いか皆の者、堀は上杉に果敢に立ち向かいわしを守らんとして敵の銃弾に倒れた。
わしも兜に鉄砲を受けて九死に一生を得た。
撤退する上杉の戦ぶりは敵ながら天晴れなものであった。
上杉の殿軍は敵将、直江山城と音に聞えし豪傑、前田利益である。
皆の者、これに相違無きと心得よ」
義光の方針に異を唱える者はもういなかった。
最上の者達は義光のこういうやり方に慣れていた。
かくして兼続と義光の出来レースは無事計画通り全うされた。