その十三 印し
おねねの疑念から撚られた縦糸と横糸は次第に綾を成し、霞がかった錦絵の全体像を描いていった。
長い間に見慣れてしまい、すっかり忘れていたが秀吉には身体的な特徴があった。
右手の指が六本あったのだ。
(注 化学物質も放射線もタバコすら無い時代でったので遺伝的な染色体異常と思われる)
たいていは幼子のうちに余分な指を切り取って、成長とともに自然な形にしていくのが当時の習いであった。
(注 現代においてもそうである)
秀吉の母の大政所はずいぶん変った人であったが秀吉のことを大層大事に育てたことから、わざと指を残して成人させたというのは何か特別な意味があったのかも知れない。
・・・・ 何かの印しとして ・・・・
禁裏に於いては近しい間柄での婚姻が幾重にも重なるうちに、ときに尋常ならざるお子が産まれるという噂を耳にしたことがある。
千年前の厩戸皇子(=聖徳太子)のような天武の才が出ることもあれば、あだとなることもあるという。
人知れず始末されたり隠されたりしておるとか。
もしかして自分の知らない秀吉の生い立ちに、そのような経緯が隠されていたとしたら、今までの出来事があまりにも符合する。
羽柴筑前から異例の関白職就任に際して、秀吉がそれはそれは思案の末に選んだ新しい本姓は、聖徳太子の生前の呼び名である、"豊総耳"にちなんだ豊臣としたのだった。
おねねは自分の織り上げようとしている図柄の意味するところの恐ろしさに、それ以上の詮索の想いを巡らせるのをやめた。