表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
129/156

その百二十九 反転攻勢

二万五千の上杉に対して僅か一〇〇〇人で長谷堂城に立てこもった最上が防戦一方だったかと云えばけっしてそうではなかった。


幾度か不意打ちの夜襲を仕掛けて上杉に大損害を与えている。


おかげで上杉勢は昼間はぬか田に阻まれて攻めあぐね、夜は夜でおちおち寝られずと、神経戦でも最上に主導権を奪われていた。


長谷堂城に篭もる城代は志村光安。副官は鮭延秀綱である。


実は兼続は半年前に彼らとも会っていた。


最上義光と長谷堂城を囮の砦とすることに合意したとき、義光のはからいで彼ら両名と相対していた。


義光の言葉を借りれば、「この者たちは奥州の如き辺境の地に留め置くには惜しい強者達である」、ということであった。


出羽で最上がここまでになれたのも彼らの働きがあったればこそであると ・・・・



上杉に焦りと厭戦気分が蔓延し始めた頃、北関東で江戸の守備に残っていた家康の次男の結城秀康から兼続宛てに和平の提案を装った密書が届けられた。


それは関ヶ原の行方を知らせるものであった。



〜〜〜〜 九月十五日早朝より美濃近江境の関ヶ原に於いて東西両軍の総力戦が勃発。


     結果は徳川の完全勝利也、上杉は包囲を解いて国許へ戻られよ 〜〜〜〜



兼続の役目は果たされた。


このまま静々と上杉領へ引き返すことも出来たはずである。


だが兼続はそうしなかった。


上杉にはまだまだリストラ(・・・・)が足りなかった。


この戦後処理で上杉百二十万石は大幅に減封されて並みの大名(・・・・・)とならねばならない。



・・・・ この際、余分な兵員は削減しておかねばならぬ、最上の手を借りて ・・・・



兼続は関ヶ原の情報を握りつぶした。


同じ知らせは山形城の最上義光にも、伊達軍を率いる留守政景にももたらされているはずである。


今夜は長谷堂から最後の夜襲が仕掛けられるであろう ・・・・ それも過去最大規模で。


やがて山形城から長谷堂に反転攻勢を知らせる狼煙が立ち昇り、夕刻の北の空にたなびいた ・・・・


果たして兼続の読み通り未明の長谷堂から忍の様な黒装束に甲冑すらまとわぬ身軽ないでたちの奇襲部隊が音も無く上杉の最前線に襲い掛かった。


敵の隊長は勇猛で知られる長谷堂の副将、鮭延秀綱である。


最上はほとんど死傷者も出さずに上杉だけに一方的に損害を与えた。


同士討ちの混乱の中で上杉の重臣で高禄で(・・・)召抱えられていた上泉秦綱らが討ち取られた。


しかしである、上杉が更なる大打撃を被るのはこれから始まる撤退戦で山形城から打って出た最上本隊と伊達の連合軍から猛烈な追撃を受けたときである ・・・・

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極秘情報の90%は、公開情報の中にある!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ